ベルギー・フラン
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ベルギー・フラン
Belgische frank (オランダ語)
franc belge (フランス語)
Belgischer Franken (ドイツ語)
ISO 4217
コード
BEF
中央銀行ベルギー国立銀行
 ウェブサイト ⇒www.nbb.be
使用
国・地域 ベルギー
ルクセンブルク
ERM
 開始日1979年3月13日
 レート固定日1998年12月31日
 ?使用開始日1999年1月1日
 ?一般流通開始日2002年1月1日
? =40.3399フラン
補助単位
 1/100centiem (オランダ語)(Dutch)
centime (フランス語)
Centime (ドイツ語)
通貨記号fr.
 centiem (オランダ語)(Dutch)
centime (フランス語)
Centime (ドイツ語)c.
c.
複数形frank (オランダ語)
francs (フランス語)
 centiem (オランダ語)(Dutch)
centime (フランス語)
Centime (ドイツ語)centiemen (オランダ語)
centimes (フランス語)
硬貨
 広く流通1, 5, 20, 50 fr.
 流通は稀50 c.
紙幣
 広く流通100, 200, 500, 1000, 2000 fr.
 流通は稀10,000 fr.
このinfoboxは、通貨が変更される直前の値を示している。

ベルギー・フラン(オランダ語:Belgische frank, フランス語:franc belge, ドイツ語:Belgischer Franken)とは、2002年にユーロが流通するまでベルギーにおいて使用されていた通貨。補助通貨単位はサンチーム(オランダ語:centiem, フランス語:centimes, ドイツ語:Centime)で、1フラン = 100サンチームとされていた。
歴史

西ヨーロッパで革命が相次ぎ、またナポレオン時代のフランスが対外拡大を進めたことで、フランス・フランがこの地域で広く流通するようになった。オーストリア領ネーデルラント(のちのベルギー)ではクローネンターラーにかわってフランが使用されるようになった。その後フランはネーデルラント連合王国が樹立したさいにオランダ・ギルダーに切り替えられた。

ネーデルラント王国から独立したことにより新たに誕生したベルギー王国は1832年に、フランス・フランと等価とする独自のフランを導入し、この新たなフランの導入は1848年にルクセンブルクが、1850年にスイスがベルギーに続いた。また1862年には統一されたイタリアでも似たような基本制度をもつリラが制定された。

1865年、フランスベルギースイスイタリアによってラテン通貨同盟が結成され、1868年にはギリシャもこれに加わった。各国はそれぞれの通貨単位(フラン、リラ、ドラクマ)を有しており、いずれも1単位を4.5グラムの銀、または290.322ミリグラムの純金と等価とし、いずれの通貨との間で1:1での交換が可能とされた。1870年代に金本位制が定着するようになっても、このラテン通貨同盟の体制は1914年まで維持された。

1926年にフランスと同じくベルギーでは貨幣価値が下落し、通貨への信頼が急激に低下する。これによって国際取引で新たな金本位通貨が導入されることになり、5フランと等価のベルガが制定され、またベルギーはラテン通貨同盟から脱退し、同盟はその年末に消滅した。ベルガはポンド・スターリングに対して1ポンド = 35ベルガ(= 175フラン)で固定され、また金に対しては1ベルガ = 純金209.211ミリグラムとされた。また1921年のベルギー・ルクセンブルク通貨同盟は存続しており、1932年の完全な経済同盟の基礎を形成していた。1935年、ベルギー・フランは28%切り下げられ、純金に対して150.632ミリグラムとなり、またルクセンブルクとベルギーのフランとの間でも1ルクセンブルク・フラン = .mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1+1⁄4ベルギー・フランに改定された。

1940年5月にベルギーがドイツに占領されたさいに、1フランは0.1ライヒスマルクに、その後同年7月に0.08ライヒスマルクに固定された。1944年に解放されたさいに、ベルギー・フランはブレトン・ウッズ体制に参加し、10月5日には1USドル = 43.77フランと設定された。その後1946年に1USドル = 43.8275フランに、1949年9月のポンド・スターリングの切り下げを受けて1USドル = 50フランに変更されていった。

ほかの10のヨーロッパの通貨と同じく、ベルギー / ルクセンブルク・フランは1999年1月1日に銀行間決済などでの使用が停止され、そのさいに1ユーロ = 40.3399フラン(1フラン = 0.024789ユーロ)に固定された。従来のフラン硬貨・紙幣は2002年2月28日に法的効力が消滅された。
言語

当初ベルギー・フランはフランス語だけが記載されていた。ところが1869年からはオランダ語が書かれた硬貨が導入された。その後の硬貨の一部は両方の言語が記載されるようになった。両言語が硬貨の両面に記載されるようになったとき、オランダ語を左側に、フランス語を右側にしたものと、その逆にしたものの2種類が作られていた。1880年代には紙幣に両言語が記載されるようになり、1992年からは表面にフランス語またはオランダ語が記載され、裏面にはドイツ語と表面で記載されなかった言語が記載されるようになった。記念硬貨の中にはドイツ語が入れられたものもあったが、通常の硬貨にはドイツ語が記載されるということはなかった。
ベルギー国内におけるルクセンブルク・フランの使用

1944年から2002年にかけて、1ルクセンブルク・フランは1ベルギー・フランと等価であった。両方のフランは両国において法的効力を有していたが、法的効力があることが知られていなかったり、あるいはほかの客が銀行に行って両替をするという面倒を嫌ってルクセンブルク・フランの受け取りを拒否するということが考えられていたりしたことから、ベルギー国内の店ではルクセンブルク紙幣を用いた支払いが断られるということがあった。
硬貨5フラン 1869年

1832年から1834年の間、1, 2, 5, 10サンチーム銅貨と1⁄4, 1⁄2, 1, 2, 5フラン銀貨、20フランと40フラン金貨が導入されていた。初期の1サンチーム、2サンチーム硬貨の一部にはオランダの1⁄2セント、1セント硬貨を鋳造しなおしたものであった。1841年以降は40フラン硬貨の発行が停止されたが、その一方で1848年から1850年にかけて2+1⁄2フラン銀貨と10フラン、25フラン金貨が発行された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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