この項目では、フォーミュラ1のレースについて説明しています。ロードレース世界選手権のレースについては「ベルギーグランプリ (ロードレース)」をご覧ください。
Belgian Grand Prixスパ・フランコルシャン
レース情報
周回44
コース長7.004 km (4.352 mi)
レース長308.052 km (191.410 mi)
開催回数77
初回1925年
ベルギーグランプリ(ベルギーGP, 英: Belgian Grand Prix, 蘭: Grote Prijs van Belgie, 仏: Grand Prix de Belgique, 独: Groser Preis von Belgien)はベルギーで行われている自動車レースであり、F1世界選手権レースのひとつ。 初開催は1925年。以来幾度かの中断を挟みながら開催され、1950年のF1世界選手権開幕シーズンからカレンダー入りした。全長14kmの公道コース、スパ・フランコルシャンを舞台に行われていたが、時代とともにマシンの性能向上に対して安全対策の不備が批判されるようになった。1969年のベルギーGPは選手組合 (GPDA) のボイコットによりキャンセルされ、1972年より常設コースのニヴェル・ボレールやゾルダー・サーキットへ舞台を移した。この2ヵ所で交互開催を続ける予定だったが、ニヴェルが経営破綻したため、1975年から1982年までゾルダーで連続開催された。1983年には1周の距離が短縮されたスパ・フランコルシャンに再び戻り、1985年以降はずっとスパで開催されている。 開催時期は夏の終わりで、ハンガリーグランプリとイタリアグランプリの間に挟まれることが多い。コスト削減の一環で2009年よりサマーブレイクが導入されたが、2010年以降はサマーブレイク明けの最初のレースとなっている。オー・ルージュをはじめ、高速コーナーが多いスパ・フランコルシャンでのレースは、スパ・ウェザーと呼ばれる短時間で天気が頻繁に変わることにより、レースに波乱の展開が多く見られる。 F1から欧州圏のGPが減っていく中で、ベルギーGPも存続が揺らいでいる。2003年はタバコ広告禁止法の施行により開催されず、2006年は主催者の破産や施設改修の遅れにより開催中止となった[1]。2013年以降はフランスグランプリとの隔年開催という案も検討された[2]が、その後も通年開催が続いた。開催契約が満了する2022年にはモナコグランプリやフランスグランプリとともに契約延長が危ぶまれたものの、翌2023年までの開催延長にこぎつけた[3]。さらに2023年には2025年までの開催延長に向けた契約が結ばれた[4]。
概要
特筆すべき過去のレース
1960年のレースは重大事故が相次ぎ、「暗黒の週末」と呼ばれた。予選ではスターリング・モスとマイク・テイラーが負傷。決勝ではクリス・ブリストウとアラン・ステイシーが死亡した。
1964年のレースでは、レース終盤にガス欠による逆転劇が発生した。レースを独走したダン・ガーニーが残り2周でストップし、最終ラップにはグラハム・ヒルとブルース・マクラーレンも同じ目に遭い、たなぼたでジム・クラークに勝利が転がり込んだ。そのクラーク自身もチェッカーを受けた後にガス欠でストップした。クラークは1962年のベルギーGPでF1初勝利を挙げてから1965年まで4連覇した。
1967年にはダン・ガーニー(イーグル)、1968年にはブルース・マクラーレン(マクラーレン)がオーナードライバーとしてチーム初優勝を達成した。
1977年
1981年にゾルダーで行われたレースでは、予選中ピットレーンでオゼッラのメカニックがカルロス・ロイテマンのマシンに撥ねられた。決勝スタートではアロウズのメカニックがエンジンストールしたリカルド・パトレーゼのマシンに駆け寄ったところ、後方からチームメイトのジークフリート・ストールのマシンに追突され両足骨折の重傷を負った。