ベルウッドレコード
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この項目では、レコード会社について説明しています。エレクトリックギターのブランドについては「鈴木バイオリン製造」をご覧ください。

「ベルウッド」はこの項目へ転送されています。ペンシルヴェニア州のボロについては「ベルウッド (ペンシルベニア州)」をご覧ください。

ベルウッド・レコード株式会社
Bellwood Records Co., Ltd.種類株式会社
略称ベルウッド
本社所在地 日本
112-0013
東京都文京区音羽1丁目2番3号
設立1973年昭和48年5月17日
業種情報・通信業
法人番号8010001007069
代表者遠藤 潤(代表取締役社長
資本金2500万円(2007年7月現在)
主要株主キングレコード
外部リンク ⇒http://bellwoodrecords.co.jp/
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ベルウッド・レコード株式会社は、キングレコード系列のレコード会社、および同社が展開するレーベルである。名称の由来は「鈴・木」の英直訳。販売業務はキングレコードへ委託している。講談社を中心とした音羽グループに属する。

1972年昭和47年)に発足。1979年(昭和54年)に一旦休止したが、2001年平成13年)に復活。以下、1972年 - 1979年を「第1期」、2001年以降を「第2期」とする。
概要
第1期

キングレコードのディレクター・長田暁二は「1970年(昭和45年)の第二回全日本フォークジャンボリーが1万人近い観客を集めたことを知り、フォークソングが商売になると踏んで、後に私どもが作ったレーベルがベルウッド・レコード」と話している[1]。キングレコードのディレクター・三浦光紀1971年(昭和46年)に制作した上條恒彦+六文銭の「出発の歌」が大ヒットしたことで[2]1972年(昭和47年)キングレコード内に本格的にフォーク/ロック系レコードを制作するため[3]、三浦を中心として設立したレーベルが「ベルウッド」である[2][3]。「ベルウッド」という名前は三浦を強力に支持してくれた鈴木実文芸部長の名前を適当に組み合わせたもので三浦の命名[4]

当時キングレコードは経営不振の渦中にあり、希望退職を募っていて[3]、三浦も他のディレクターとソリが合わなかったこともあり退社を決意[4]。するとキングレコードの町尻量光社長から「ベルウッドを独立させて会社組織にしたらどうか」との提案を受け[3]、三浦他、10数人のスタッフが独立し、1973年(昭和48年)5月1日、「キング・ベルウッドレコード株式会社」が設立された[3]。社長はキングと同じ町尻量光で、専務が小池康之、取締役は草野昌一(漣健児)、長田暁二他、三浦も取締役兼制作チーフで、他の取締役が4人[3]。出資はキングとベルウッドが半々[3]。アーティストからの出資はなく、スタッフにもアーティストはいない[3]。事務所の場所はキング社内から豊島区雑司が谷2丁目のサガラビル2階に移った[3]

第3回全日本フォークジャンボリーで、三浦がスカウトしたあがた森魚[5][6]、1972年4月25日にベルウッドの第一弾シングル「赤色エレジー」でデビューし[2]、この曲が大ヒットしレーベルも軌道に乗った[2]。あがたは先行していたよしだたくろうとは違い[7]、長髪、下駄履き姿でテレビに出て歌唱した[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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