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ベリーダンス(英語: Belly dance、アラビア語: ??? ???? ラクス・シャルキー)は古代エジプト発祥であり、中東およびその他のアラブ文化圏でイスラム教が普及する前に発展したダンス・スタイルであり、これらを総称するために造語された呼称である。エジプト、トルコ等、アラブ全域で踊られる。腹部や腰をくねらせて踊る為、欧米ではBelly(腹部)Danceと呼ばれているが、本場のアラビア語ではRaqs Sharqi(東方の踊り)と呼ぶ。13世紀末に建国された当時のイスラム教宗主国であったオスマン帝国(現:トルコ)でも、スルタンのために世界中から集められた女性がハレムにおける教育の一環としてダンスも学んでいたとされており、スルタンのために踊る姿が描かれた絵画も多く残されている。比較的世俗的なエジプトやトルコでは伝統になっているが、音楽や踊り、(女性の)肌の露出を禁忌と考えるイスラーム主義過激派(原理主義者)には懲罰・攻撃対象となっている[1][2][3][4]。
英語直訳すれば「腹おどり」となり、このダンスを踊る者はベリーダンサー (belly dancer) と呼ばれる。
歴史ジャン・レオン・ジェローム作。 19世紀以後の中近東の風物がヨーロッパで使用された。この絵も彼らのイメージする「官能と倦怠」の東方世界を描き出している。
ベリーダンスは、ジャン・レオン・ジェロームの1864年の絵画「アルメの踊り」に登場している[5][6] 。また、1893年のシカゴ万国博覧会で、英語の「ベリーダンス」という言葉が使用された。ベリーダンスの起源は諸説あるが、紀元前のエジプトやトルコ、地中海世界、中東、アフリカと関係があるという説や資料が最も多く挙げられている[7]。紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操の姿勢に似ている。12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンスの描写が見られ、その歴史の長さをうかがわせる。
中東以外の地域においては、18世紀から19世紀に掛けて勃興したロマン主義運動の高まりの中で、オリエンタリズムの芸術家達がオスマン帝国のハレムの生活を解釈して描いた絵画のなかに登場したことにより、一般的に知られるに至った。西洋やアメリカのベリーダンスで形成され続けている他文化混合的な流行は、その活動を通じて今なお進行中である。ベリーダンスは多彩な側面を持つダンスとして、モダン・ファッションや映画・テレビなどの発信するイメージ、ロックやヒップホップの世界観、アンダーグラウンド・サブカルチャー、などの要素が渾然一体となった現代文化を吸収し続けている。 ベリーダンスは幾つかの司法権において禁止、あるいは制限を受けてきた。 エジプトでは外国のベリーダンサーに関する禁止令が存在した。それは1年間続いたものの、2004年9月には法令そのものが覆された。[8] パレスチナ暫定自治政府の新任の文化大臣、アタラー・アブ・アル=シルバは、ベリーダンスを法令で禁止する計画があることを表明した。[9] 使用されるほとんどの基本的なステップやテクニックは、体の部分ごとに分かれた円運動である。腰や肩を床と平行に別々に動かす。「ポップ・ロック」は通常、ダンサーが「シミー」をしなかったときや腰や肩の動きを停止したとき、また柔軟性を生かした離れ業をする際のアクセントとして使用される。この動きによって腹筋を回転させバランスをとり、シフォンヴェールやシルクヴェールなどのさまざまな小道具を支え、籠や剣、鞭のように見せている。 ベリーダンスに用いる衣装は「ベラ」と言う。現在ベリーダンスの衣装としてまず想起されるものは、1930年代のエジプト・ダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装である。アラビア風やラクス・シャルキー風が知られる。この衣装の特徴は上半身に密着したブラジャー風のトップスで、たいていビーズかコインがブラの周辺に飾られている。腰のベルトにもビーズかコインが飾り付けられている。おもに脚を覆うのはハーレム・パンツ、ストレートタイプのスカート、サーキュラー・スカート、パネル飾りがあしらわれたスカートである。
ベリーダンスの禁止令
形態
衣装
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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