公用語ロシア語、ベラルーシ語
首都未定
最大の都市 ロシア モスクワ
政府
最高国家会議議長 アレクサンドル・ルカシェンコ
閣僚会議議長 ミハイル・ミシュスチン
国家書記
(国務書記、国務長官) ドミートリー・メゼンツェフ(ロシア語版)
面積
総計17,281,800km2(1位)
水面積率0.5%(ロ) / ごく僅か(ベ)
人口
総計(2008年)1億5000万人(9位)
人口密度8.6人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(-年)通貨未統合
GDP(MER)
合計(2008年)1兆7367億ドル(8位)
1人あたりxxxドル
GDP(PPP)
合計(2008年)2兆3797億ドル(6位)
1人あたり15,900ドル
連合国家創設条約の発効2000年1月26日
通貨未統合(???)
時間帯UTC+2 ? +12 (DST:+3 ? +13)
ISO 3166-1不明
ccTLD不明
国際電話番号不明
順位は、ロシア・ベラルーシを除いた上で算出している。
ベラルーシ・ロシア連合国家(ベラルーシ・ロシアれんごうこっか、ロシア語: Союзное государство России и Беларуси、ベラルーシ語: Саюзная дзяржава Рас?? ? Беларус?、英語: Union State of Russia and Belarus)は、ロシア連邦とベラルーシ共和国との国家連合である。
正式な名称は単に連合国家(ベラルーシ語: Саюзная дзяржава サユーズナヤ・ヅャルジャーヴァ、ロシア語: Союзное государство サユーズナイェ・ガスダールストヴァ)である。日本語では、ロシア・ベラルーシ連合国またはロシア・ベラルーシ連邦と表記される。
国家元首にあたる「最高国家会議議長」はベラルーシ大統領のアレクサンドル・ルカシェンコが務め、首相にあたる「閣僚会議議長」はロシア首相のミハイル・ミシュスチンが務めている。 1999年12月8日、ロシアのエリツィン大統領とベラルーシのルカシェンコ大統領との間で「ベラルーシ・ロシア連合国家創設条約」が調印された。当時、ロシアは国力が低下しており、イニシアチブはベラルーシ側が握っていた[1]。そして、2000年1月26日の条約発効に伴い、ルカシェンコが連合国家の最高指導者となるはずだった。 @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ところが、エリツィンの後継大統領となったウラジーミル・プーチンが、ベラルーシのロシアへの吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになり、この構想にルカシェンコが反発し、連合国家は機能せず、棚上げになった。2002年を最後にベラルーシとロシアの首脳会談も行われなくなり、ロシアとベラルーシの関係は悪化した。[要検証 – ノート] しかし、2011年に入ってからベラルーシに未曽有の経済危機が襲い、プーチンはベラルーシとロシアとの統合を支援する旨を正式にベラルーシ首相であるミハイル・ミャスニコヴィチ ロシアは、先述の通りベラルーシを吸収合併する思惑があった。ベラルーシの通貨をロシア・ルーブルにしようとしていたが、ベラルーシ側が反発した。 2008年5月27日には、首相に相当する閣僚会議議長へプーチンが就任した。 しかし、この連合国家はプーチンとルカシェンコの不和により、連合国家での閣僚会議や最高国家会議がたびたび行われるものの、国家として機能していない状態が続いている。 2009年末からのロシア・ベラルーシ間の石油価格引き上げ交渉が泥沼化(急激な石油価格の引き上げは、ベラルーシの国家破綻につながる)、ロシアは何かと連合国家プラン進行の障害になっているルカシェンコの排除に乗り出したとされ[3]、ロシアとベラルーシの関係は紆余曲折が続いている。 2010年2月、ウクライナで親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が就任。
概要
経緯