ベネヴェント
[Wikipedia|▼Menu]

ベネヴェント
Benevento
サンタ・ソフィア教会とマッテオッティ広場
行政
イタリア
カンパニア
県/大都市 ベネヴェント
CAP(郵便番号)82100
市外局番0824
ISTATコード062008
識別コードA783
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 1 (sismicita alta)
気候分類zona C, 1316 GG
公式サイト ⇒リンク
人口
人口59,789 [1] 人 (2018-01-01)
人口密度460.1 人/km2
文化
住民の呼称beneventani
守護聖人聖バルトロメオ
(San Bartolomeo)
祝祭日8月24日
地理
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度08分0秒 東経14度47分0秒 / 北緯41.13333度 東経14.78333度 / 41.13333; 14.78333座標: 北緯41度08分0秒 東経14度47分0秒 / 北緯41.13333度 東経14.78333度 / 41.13333; 14.78333
標高135 (83 - 499) [2] m
面積129.96 [3] km2
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left} ベネヴェントの位置

ベネヴェント県におけるコムーネの領域
ポータル イタリア
テンプレートを表示

ベネヴェント(Benevento ( 音声ファイル))は、イタリア共和国カンパニア州にある都市で、その周辺地域を含む人口約60,000人の基礎自治体コムーネ)。ベネヴェント県県都である。

ローマ人がこの地を支配下に収める以前からの古い歴史を持つ都市で、ローマ時代にはアッピア街道の重要都市として繁栄した。中世には南イタリアを統治するベネヴェント公国の首都であり、11世紀末以降は19世紀のイタリア統一まで(ナポレオン時代を除き)教皇領であった。この都市の周辺では、古代以来何度かの重要な戦闘が行われており、ローマがピュロス王を退けた戦い(紀元前274年)、第二次ポエニ戦争中の戦い(紀元前214年紀元前212年)、シチリア王位をめぐる戦い(1266年)が著名である。
名称

ローマ時代にはベネウェントゥム(Beneventum)の名で呼ばれた都市であるが、もともとはマレウェントゥム(Maleventum)、あるいはオスク語由来のマロエントン(Maloenton)と呼ばれていた都市である。

オスク語もしくはサムニウム語での名はおそらく Maloeis あるいは Malieis (古代ギリシア語: Μαλιε??) で、ここから Maleventum という語形が導かれたものと考えられる[4]。"-vent"は、おそらくは市場が立った場所を示しており、古代の地名としてはありふれた要素であるとする説がある[5]

ローマ人たちは、マレウェントゥム(Maleventum)という地名を「悪い出来事」(malum eventum)[6]に通じると解し、「悪い」(male)を「良い」(bene)に改めてベネウェントゥム(Beneventum)とした。なお、この改名については、「悪い風」/「良い風」(bene ventum)とする解釈もされている[7][8]
地理ベネヴェント県概略図
位置・広がり

ベネヴェント県の中南部に位置するコムーネ。ベネヴェントの市街は、カローレ・イルピーノ川(英語版)(単にカローレ川、あるいはベネヴェンターノ川 Beneventano とも)とサバト川(英語版)の合流点に位置する標高130mの丘陵上にあり、アヴェッリーノから北へ24km、カゼルタから東へ38km、カンポバッソから南南東へ49km、州都ナポリから北東へ53kmの距離にある[9]
隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

アポッローザ

カステルポート

フォリアニーゼ

フラニェート・モンフォルテ

パドゥーリ

ペスコ・サンニータ

ピエトレルチーナ

サン・ジョルジョ・デル・サンニオ

サン・レウチョ・デル・サンニオ

サン・ニコーラ・マンフレーディ

サンタンジェロ・ア・クーポロ

トッレクーゾ


歴史
ローマ以前

古代、この都市はサムニウムの主要都市のひとつでマレウェントゥム(Maleventum)と呼ばれ、カプア(古代のカプアは現在のサンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレの場所にあった)の東約50kmに位置する、Calor川(現代のカローレ川)河畔、アッピア街道沿いの都市であった。

この都市がどの部族に属する都市であったかについては食い違う記述がある。プリニウスは明確にヒルピニ族の都市であると記しているが、リウィウスはヒルピニ族とサムニウム人をはっきり区別した上で(ヒルピニ族はサムニウム人の一部とされることがある)サムニウム人に属するものであろうとしている。プトレマイオスもリウィウスと同じ見方である[10]。古代の著述家たちが非常に古い都市としてこの都市を表現することは一致しており、ソリヌス (Gaius Julius Solinus) とビザンティウムのステファヌス (Stephanus of Byzantium) は都市の設立者をディオメーデースに帰している。この伝説は住民たちによって受け入れられていたもので、プロコピオスが著述した当時(6世紀)の住民たちは、彼らがディオメーデースの子孫であることの証拠として、カリュドーンの猪の牙だというものを示したという[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:60 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef