ベネヴェント
Benevento
サンタ・ソフィア教会とマッテオッティ広場
行政
国 イタリア
州 カンパニア
県/大都市 ベネヴェント
CAP(郵便番号)82100
市外局番0824
ISTATコード062008
識別コードA783
分離集落#分離集落参照
隣接コムーネ#隣接コムーネ参照
地震分類zona 1 (sismicita alta)
気候分類
ベネヴェント(Benevento ( 音声ファイル))は、イタリア共和国カンパニア州にある都市で、その周辺地域を含む人口約60,000人の基礎自治体(コムーネ)。ベネヴェント県の県都である。
ローマ人がこの地を支配下に収める以前からの古い歴史を持つ都市で、ローマ時代にはアッピア街道の重要都市として繁栄した。中世には南イタリアを統治するベネヴェント公国の首都であり、11世紀末以降は19世紀のイタリア統一まで(ナポレオン時代を除き)教皇領であった。この都市の周辺では、古代以来何度かの重要な戦闘が行われており、ローマがピュロス王を退けた戦い(紀元前274年)、第二次ポエニ戦争中の戦い(紀元前214年、紀元前212年)、シチリア王位をめぐる戦い(1266年)が著名である。 ローマ時代にはベネウェントゥム(Beneventum)の名で呼ばれた都市であるが、もともとはマレウェントゥム(Maleventum)、あるいはオスク語由来のマロエントン(Maloenton)と呼ばれていた都市である。 オスク語もしくはサムニウム語での名はおそらく Maloeis あるいは Malieis (古代ギリシア語: Μαλιε??) で、ここから Maleventum という語形が導かれたものと考えられる[4]。"-vent"は、おそらくは市場が立った場所を示しており、古代の地名としてはありふれた要素であるとする説がある[5]。 ローマ人たちは、マレウェントゥム(Maleventum)という地名を「悪い出来事」(malum eventum)[6]に通じると解し、「悪い」(male)を「良い」(bene)に改めてベネウェントゥム(Beneventum)とした。なお、この改名については、「悪い風」/「良い風」(bene ventum)とする解釈もされている[7][8]。 ベネヴェント県の中南部に位置するコムーネ。ベネヴェントの市街は、カローレ・イルピーノ川 隣接するコムーネは以下の通り。 古代、この都市はサムニウムの主要都市のひとつでマレウェントゥム(Maleventum)と呼ばれ、カプア(古代のカプアは現在のサンタ・マリーア・カープア・ヴェーテレの場所にあった)の東約50kmに位置する、Calor川(現代のカローレ川)河畔、アッピア街道沿いの都市であった。 この都市がどの部族に属する都市であったかについては食い違う記述がある。プリニウスは明確にヒルピニ族の都市であると記しているが、リウィウスはヒルピニ族とサムニウム人をはっきり区別した上で(ヒルピニ族はサムニウム人の一部とされることがある)サムニウム人に属するものであろうとしている。プトレマイオスもリウィウスと同じ見方である[10]。古代の著述家たちが非常に古い都市としてこの都市を表現することは一致しており、ソリヌス (Gaius Julius Solinus
名称
地理ベネヴェント県概略図
位置・広がり
隣接コムーネ
アポッローザ
カステルポート
フォリアニーゼ
フラニェート・モンフォルテ
パドゥーリ
ペスコ・サンニータ
ピエトレルチーナ
サン・ジョルジョ・デル・サンニオ
サン・レウチョ・デル・サンニオ
サン・ニコーラ・マンフレーディ
サンタンジェロ・ア・クーポロ
トッレクーゾ
歴史
ローマ以前