ベッペ・グリッロ
五つ星運動党首
任期
2009年10月4日 ? 2017年9月23日
後任者ルイジ・ディマイオ
ベッペ・グリッロ(イタリア語: Beppe Grillo、イタリア語発音: [?b?ppe ??rillo]、1948年7月21日 - )は、イタリアのコメディアン、俳優、ブロガー、政治活動家。本名はジュゼッペ・ピエロ・グリッロ (Giuseppe Piero Grillo) 。2009年にジャンロベルト・カザレッジョと、五つ星運動を結成した。 リグーリア州ジェノヴァに生まれる[2]。会計士の勉強をしたが、大学を卒業することはなかった[3]。その後、あるオーディションで即興の一人芝居をした結果、ウケが良かったためコメディアンの道を志す。その2週間後にテレビ司会者のピッポ・バウドに見出され、Secondo Voi というバラエティー番組に1977年から1978年まで出演。1979年にはエンツォ・トラパニの Luna Park やバラエティー番組 Fantastico にも出演した[4][5]。 1980年代には Te la do io l'America (1982年、全4話)と Te lo do io il Brasile (1984年、全6話)という番組で、アメリカ合衆国やブラジルを訪れた経験を語った。これがもとで、Grillometro という別の番組では主役を務めた。ピッポ・バウードと共演するグリッロ(1970年代) まもなく、グリッロのパフォーマンスはイタリアの政治家を攻撃する政治風刺の色合いを帯び始める。1987年には Fantastico 7 という土曜日の夜のテレビ番組で、中華人民共和国を訪問したベッティーノ・クラクシ首相を痛烈に攻撃した。その結果、グリッロは公共放送から出入り禁止処分を受けた[6]。 1990年代の初めから、グリッロはテレビ番組にあまり出演しなくなった。1993年にグリッロがイタリア放送協会 (RAI) に生出演することが認められたときには、1,500万人という記録的な視聴者数を集めた[7]。グリッロはしばしば、RAIを自らのプロパガンダに悪用している政党に資金を融通しているとして、公共放送であるRAIを非難している[8]。 グリッロは追放処分とされたものの、五つ星運動の大会の模様は、政治討論番組をはじめとするテレビ番組で頻繁に放映される。2014年5月19日には、深夜の人気政治討論番組 Porta a Porta に出演するため、グリッロがRAIを訪れた。これは同年の欧州議会議員選挙の選挙運動の一環であった。同日の Porta a Porta は300万人が視聴した[9]。その後、グリッロはイタリア中で公演を行っている[10]。そのテーマにはエネルギーの利用や政財界の汚職、財政、言論の自由、児童労働、グローバル化、テクノロジーなどがある[11]。 グリッロはブログを開設しており、毎日更新を行っている。Technoratiによると、そのアクセス数は世界で10位以内に入る。2008年、『ガーディアン』はグリッロを世界で最も影響力のあるブロガーの1人に挙げた[12]。グリッロはアントニオ・ディ・ピエトロ(元インフラ相)やファウスト・ベルティノッティ(元代議院議長)、レンゾ・ピアノ、ダリオ・フォ、ジョセフ・E・スティグリッツ、ダライ・ラマ14世、ムハマド・ユヌスなどの著名人から手紙を受け取っている[13]。
経歴
テレビからの追放
インターネット活動
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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