ベイツ型擬態(ベイツがたぎたい、英語: Batesian mimicry、ベイツ氏擬態、ベイツ式擬態、ベイツ擬態とも)は、本来無害な種が捕食者による攻撃を免れるために、有害な種に自らを似せるという生物の擬態の一様式である。典型的には有毒種がもつ警告色と似た体色を、別の無毒な種が持つという例が挙げられる。ブラジルの熱帯雨林におけるチョウの研究をもとにこの様式の擬態を報告した、イギリスの博物学者ヘンリー・ウォルター・ベイツにちなんだ名称が付けられている。
ベイツ型擬態は最もよく知られ、最もよく研究がなされている擬態様式である。よく似た別の擬態様式として、ミューラー型擬態が挙げられる。こちらは有毒な種どうしが互いに似た特徴を示すことで、お互いの捕食されるリスクを下げる互恵的な擬態様式である。また、ベイツ型擬態と対照的な擬態様式として、攻撃擬態(ペッカム型擬態)が挙げられる。これは逆に、捕食者の側が無害な種に擬態することで、捕食の成功率を上げるという擬態様式である。
ベイツ型擬態の研究ではほとんどの場合視覚シグナルが注目されるが、実際には他の感覚のシグナルも擬態の対象になりうる。例えばある種のガは、有毒なガがコウモリに対して発する超音波シグナルを真似ている。これは聴覚シグナルにおけるベイツ型擬態の例である。
歴史的背景ヘンリー・ウォルター・ベイツ(写真)が後に自らの名前を冠することになる擬態様式を初めて報告したのは、1861年のことであった。
ヘンリー・ウォルター・ベイツ(1825年 - 1892年)はイギリスの探検家・博物学者で、1848年からアルフレッド・ラッセル・ウォレスとともにアマゾン熱帯雨林の調査を行なった。ウォレスは1852年に帰国したが、ベイツは10年以上もアマゾンに留まり調査を行なった。彼の研究によって集められた数千もの昆虫標本の中には、約100種のタテハチョウ科のドクチョウ亜科やマダラチョウ亜科のチョウが含まれていた。そのチョウを外見のよく似たグループに仕分けしていく中で、ある齟齬が生じ始めた。いくつかの種は一見お互いにとても似通っており、ベイツも翅の外見だけでは別種と区別がつかないほどだった。しかし他の細かな形態を精査してみると、それらの種は全く近縁な種とは言えず、別の分類群に所属する種であることがわかった。この発見に基づき、イギリスに帰国して間も無くベイツは1861年11月21日に開催されたロンドン・リンネ協会の集会で、擬態に関する理論について口頭で発表した。その内容は1862年に"Contributions to an Insect Fauna of the Amazon Valley"(「アマゾン川流域の昆虫相についての新知見」)としてリンネ協会の発行する学術誌に掲載され出版された[1]。後に彼は著書『アマゾン河の博物学者(英語版)』の中でこの擬態様式についてより詳細に議論した[2]。
これらの報告の中でベイツは、近縁でない2種の見た目が似通っている理由は捕食者に対する適応(英語版)であるという考えを提唱した。彼は、非常に目立った体色をもち、まるで捕食者をからかうかのようにゆっくりと飛ぶチョウが複数種いることを指摘した。彼はこういったチョウは鳥や他の虫食者にとって有毒で、それゆえに捕食を免れているのだと考えた。彼はこの論理をさらに進め、そうした有毒の種に似た特徴をもつ種は、毒がなくてもその警告色ゆえに捕食者に避けられ、捕食を免れていると推論したのである[1][2]。
この自然主義(英語版)的な説明は、当時ウォレスや1859年に『種の起源』を著したチャールズ・ダーウィンによって提唱されたばかりの進化論の考え方とよく一致するものである。