ベイカーストリート強盗事件
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泥棒が金庫室に入った経路

ベイカーストリート強盗事件 (Baker Street robbery) は、1971年9月11日の夜、ロンドンロイズ銀行ベーカー街支店で発生した貸金庫の 強盗事件である。一味は2軒隣の貸店舗から40フィート(12メートル)のトンネルを掘り、金庫室の床を突き破って侵入した。被害総額は不明であるが、125万ポンドから300万ポンドの間であったと思われる。警察が回収したのは23万1000ポンドのみであった。

この強盗事件は、犯罪歴のあるアンソニー・ギャビンがコナン・ドイルの短編小説『赤毛連盟』に着想を得て計画したものである(同書ではシャーロック・ホームズが銀行の金庫室の床から侵入する盗賊を待ち伏せる)。ギャビンたちは、銀行から2軒隣の革製品店「ル・サック」を借りて、週末にトンネルを掘った。金庫の内部は、メンバーの1人が傘と腕の長さを使って設備の寸法と位置を測って地図を作成した。当初はジャッキで金庫室の床に穴を開けようとし、それが失敗するとランス切断(英語版)を使用し、それもうまく行かずゼリグナイトの爆薬で穴を開けた。金庫室に侵入後は268個の貸金庫を空にした。一味は近くの屋上に見張りを置いてトランシーバーで連絡を取っていたが、その会話をアマチュア無線家のロバート・ローランズが偶然受信した。彼は警察に通報したが相手にされず、テープレコーダーでその会話を録音した。再度警察に通報してようやく警察は彼の話を信用し、一味が侵入を試みている間に捜査を開始した。付近の半径8マイル(約13km)にある750の銀行を捜索したが、一味の行方はつかめなかった。

強盗が発覚してまもなく、警察は一味のメンバーを特定した。メンバーの一人ベンジャミン・ウルフはル・サックの賃貸契約を本名で結んでおり、情報提供者はギャビンにつながる情報をもたらした。1971年10月末、警察はウルフ、ギャビン、レジ・タッカー、トーマス・スティーブンズを逮捕した。さらに、1人の女性を含む他のメンバーを5年間探し続けたが、それ以上は逮捕されなかった。ギャビン、タッカー、スティーブンスは12年の懲役を言い渡され、ウルフは60代だったため、他のメンバーより少ない8年の懲役を言い渡された。

この強盗事件には、「政府が報道を検閲するためにD通告(英語版)を出した」「貸金庫の1つにマーガレット王女と俳優で犯罪者のジョン・ビンドンの良からぬ写真があった」「保守党の閣僚が子供を虐待している写真が見つかった」などの噂があった。これらの主張を支持する証拠はなく、広く否定されている。この噂の一部は、2008年に公開された映画『バンク・ジョブ』のストーリーにもなっている。この強盗事件に関する文書の多くはイギリス国立公文書館に保管されており、2071年1月まで非公開の処置が取られている。
背景ベーカー街187番地のロイズ銀行支店

1970年、ロンドン北部に住む38歳の写真家アンソニー・ギャビンは、ロンドンのベーカー街187番地にあるロイズ銀行の支店への強盗を計画しはじめた[1]。彼は近くの建物から銀行の床までトンネルを掘ることに決めた。この計画はコナン・ドイルの1891年の短編『赤毛連盟』から着想を得ている。この物語では、シャーロック・ホームズワトソン博士が先回りして金庫室で待ち受けるところに強盗団が侵入してくる[2][注釈 1]。元陸軍の身体訓練教官で複数の犯罪者とつながりを持つギャビンは、ジャーナリストのトム・ペティフォーとニック・サマーラドによって「強引な性格で、身体的な脅威を与える性質があった」と評された[4]。サセックス大学のジャーナリズム学部長であるポール・ラッシュマーによれば、ギャビンはブライアン・リーダーが率いるギャングのメンバーであり、リーダーも強盗に関与していたとされるが[5][6][7][注釈 2]、リーダー自身はベーカー街での事件への関与を強く否定している[9]
準備

ギャビンは、犯罪歴のない中古車販売員レッグ・タッカーにターゲットの銀行を下見させた。タッカーは1970年12月に銀行口座を開設し、その2ヶ月後に支店内に貸金庫を借りたが、その後の数ヶ月間に13回も金庫を訪れた。当時の銀行の慣例では、客が貸金庫を開ける際には職員はその場に同席しないことになっていた。タッカーは独りになると、自分の腕の長さと持ってきた傘を使って部屋の大きさを測った。その際に9インチ(23cm)角のタイルを数えることで正確なサイズを把握した。彼は部屋の地図を描き、金庫や他の什器の位置を記入した[10][11]。同じく犯罪歴のない中古車販売員トーマス・スティーブンズは、ランス切断器やジャッキなど、侵入に必要な道具を手に入れた。リーダーの友人の一人、ボビー・ミルズが見張り役として採用された。他に2人が雇われ、そのうちの1人は爆発物の専門家だった[12][13]。また、ギャビンの友人の一人であるミッキー・スキニー・ジェルヴェーズは警報機の専門家であり、さらに身元不明の2人の男「リトルレッグス」と「TH」も連れてこられた。ラッシュマーによれば、THはアレック・アイスト警部と接触しており、アイストは「評判では1950年代から1970年代半ばにかけてのスコットランドヤードで最も腐敗した警官」と書かれている[6]。ジャーナリストのダンカン・キャンベルはアイストを「1950年代から1970年代にかけて最も活発だった曲者の警官」の一人と評している[14]

1971年5月、銀行の2軒隣にあるベーカー街189番地の革製品店「ル・サック」のオーナーは、装飾品や小物を売る64歳のベンジャミン・ウルフに、この店の借地権を1万ポンドで売った[15]。ウルフは一味のメンバーの数人と繋がりがあった。 この物件の地下室は、一味の見積もりによると銀行の金庫室と同じ高さにあった[16]
実行

近くの道路工事によって金庫室の震動感知器が何度か誤報を生じ、一時的にスイッチが切られていた[17]。地元の警備会社の従業員が、掘削と警報が切られる日程を一味に知らせていた。 トンネル掘削作業は1971年8月の銀行休日の金曜日の夜に始まり[18]、1971年9月10日まで続いた[19]。騒音を聞かれるのを避けるため、彼らは週末を選んで掘削作業を進めた[20]。ギャビンはル・サックから金庫室の床の下までの掘削を指揮した。彼はその間に2ストーン(28ポンド、13kg)痩せたと後に語っている。彼とタッカーと3人目の仲間がル・サックから作った侵入口は、幅15インチ(38cm)で[19]、6インチ(15cm)のコンクリートを貫通していた[21]。ギャビンは隣接する店「チキン・イン」の地下室の壁に達するまで掘り、その後その店の地下室の床をトンネルの屋根にして、建物の下を掘り進んでいった[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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