ベイエリア・スラッシュメタル
Bay Area Thrash Metal
様式的起源NWOBHM
スピードメタル
ハードコア・パンク
パンク・ロック
文化的起源1980年代初期
サンフランシスコ・ベイエリア
使用楽器ボーカル
ギター
ベース
ドラム
派生ジャンルグルーヴ・メタル
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ベイエリア・スラッシュメタル、もしくはベイエリア・スラッシュは、1980年代にカリフォルニアのサンフランシスコ・ベイエリアで結成され、世界的な地位を獲得したヘヴィメタルバンドのブームを指す[1]。このベイエリアのシーンは、フロリダ南部と並んで、アメリカのスラッシュメタルやデスメタル発祥の地として広く認知されている[2][3]。
音楽的特徴エクソダスのギタリストでありソングライターのゲイリー・ホルト
1980年代は世界各地で多様なスラッシュメタルシーンが栄えた時代であり、それぞれが固有のスタイルを持っていた。ダーク・エンジェルのギタリストジム・ダーキンは、サンフランシスコ・ベイエリアにおけるスラッシュメタルシーンの音楽性を「よりメロディアスで、クランチ(=バリバリかみ砕く)」と表現している[4]。
初期ベイエリアスラッシュシーンにおける傑出したバンドは、NWOBHMや初期パンク・ロックから強い影響を受けていることが多かった。エクソダスのギタリストゲイリー・ホルト
(英語版)はIan KallenとRon Quintanaがパーソナリティを務めていたKUSF(英語版)のラジオ番組でタイガース・オブ・パンタン、ダイアモンド・ヘッド、エンジェル・ウィッチ、ヴェノム、バッジーなどを知ったと述べている。ハメット、ヘットフィールド、ウルリッヒもミスフィッツ、G.B.H.、ディスチャージなどのパンクバンドに加え、ヴェノムとバッジーを重要な影響元としてあげている[5]。『キル・エム・オール』や『ボンデッド・バイ・ブラッド(英語版)』などのアルバムにはこのような影響が色濃く出ている。Attitude Adjustmentのとったクロスオーバー・スラッシュというスタイルは多くのグラインドコアバンドに影響を与えた。グラインドコアを作り上げたナパームデスもAttitude Adjustmentの「Dope Fiend」やHiraxの「Hate, Fear and Power」をカバーしている[† 1]。オレンジカウンティを拠点としていたHiraxもベイエリアシーンとつながりを持っており、Ruthie's Innでライヴを行なったこともある。また、過去にはポール・バーロフ(英語版)[† 2]やロン・マクガヴニー[† 3]がメンバーにいたこともあった[6]。
ロングアイランド出身のマルチプレイヤーであるジョー・サトリアーニは音楽講師としてのキャリアを追求するため、1978年にバークレーへと拠点を移している。基本的にサトリアーニ本人はブルースから影響を受けた人物であり[7]、ヘヴィメタルを専門としたこともなかったが、サトリアーニの生徒の多くはベイエリアシーンにおいてギタリストとして先駆的な人物となっている。例えば、彼の門下にはメタリカのカーク・ハメット、ポゼストのラリー・ラロンデ、テスタメントのアレックス・スコルニック、エクソダスのリック・ヒューノルト(英語版)、ラーズ・ロキットのフィル・ケトナー、T-Rideのジェフ・タイソン(英語版)などがいる。サトリアーニはポゼストが1987年発表した『The Eyes of Horror』のプロデュースも行なっている。
ポゼストのジェフ・ベセーラは初期エクソダス、ヴェノム[8]、モーターヘッドをインスピレーションとしてあげ、モーターヘッドのベースヴォーカルを務めていたレミー・キルミスターから最も影響を受けたと語っている[9] 。オールミュージックはポゼストが1985年に発表した『Seven Churches』の音楽的な影響元としてスレイヤーをあげているが[10]、スレイヤーの1stアルバムがリリースされたのは、ポゼストのメンバーがデモやデビューアルバムに収録される楽曲をすでに書き終えた後の1983年の12月のことである。しかし、ポゼストの元メンバーブライアン・モンタナは、ギタリストのマイク・トラオがポゼストを「スレイヤーのような外見」[† 4]にしようとしていたと証言している。モンタナはこれを手垢にまみれたアイデアだとして退けている。モンタナ自身はアイアン・メイデン、ジューダス・プリースト、イングヴェイ・マルムスティーン、ジョー・サトリアーニに加え、初期エクソダスを影響元としてあげている[11]。 ヘヴィメタルの用いるイメージに関して、セイダス
イメージ、テーマ、哲学、ライフスタイル
高校でダンス以外の音楽とか、周りとかなり違うこと、例えばほら、ロック、ヘヴィメタル、ハードロックとかそういうのをやろうとするんだったら、そういう格好をする必要があった。いかにもワルなんだぜ?って格好をしなきゃいけなかったんだけど、俺たちは普通の見た目だったよ。(中略)別にみんなの印象に残ろうとしてたとかじゃなくて、そういう風に振る舞おうとするやつらをチキン野郎だと思ってたんで。(中略)ただ普通の服を着てただけだし、特に意識をしたこともなかったなあ。まあ俺たちはそんな感じだったんだが、今あの頃のことを考えてみると、特にイメージなんかに拘らないエクストリームメタルのスタイルを求めてたのかもね。どんな格好してたってどうだっていいじゃん、って感じの。だから、もう少し後に知ることになるベイエリアスラッシュという新しいムーヴメントにはしっくりきたんだろうなー[12]。
ロゴに関しては、既成のフォントを用いていた過去のメタルバンドに比べ、ベイエリアシーンに属する数多くのバンドはよりDIY的なアプローチを取った[13]。一方で、アルバムのカバーアートにはプロのイラストレーター[† 5]が採用されることもあった。
歌詞はオカルト、ホラー、死、ウィッチクラフト、戦争、破壊、暴力、黙示、反乱、専制などのテーマを扱っている[14][15][15][16]。