ヘーラクレイダイ
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赤子のテーレポスを抱きかかえるヘーラクレース。前4世紀のギリシアの彫刻のローマ時代のコピー。バチカン美術館所蔵。 ギュスターヴ・モローの1872年の絵画『デーイアネイラ《秋》』。ゲティ・センター(en)所蔵。ネッソスに攫われるデーイアネイラを描いている。ネッソスはヘーラクレースに殺されるが、デーイアネイラは死の間際にネッソスから血を受け取る。

ヘーラクレイダイ(古希: ?ρακλε?δαι, H?rakleidai)は、ギリシア神話の英雄ヘーラクレースの子孫である。長母音を省略してヘラクレイダイとも表記される。

ヘーラクレイダイは「ヘーラクレースの後裔」の意であり、字義どおりに解釈するならば神話時代のヘーラクレースの子孫とその末裔を称する歴史時代の諸王家全体を指すが、ギリシア神話では通常、ヘーラクレースの嫡流であるデーイアネイラの子供たち(特に長男ヒュロス)の家系をいう。ヘーラクレースの死後、子供たちはミュケーナイの王エウリュステウスから迫害を受け、ペロポネーソス半島を去った。このためヘーラクレイダイにとってペロポネーソス半島に帰還することは、英雄の育ての父アムピトリュオーンがミュケーナイを追放されて以来の長きにわたる悲願となった。

このヘーラクレイダイの帰還の物語はギリシア神話の世界で起きた最後の大事件であり、トロイア戦争をはさんだ長期間にわたって語られ、歴史時代にはヘーラクレイダイの帰還はドーリア人の侵入と結びつけられた。また古代の悲劇作家たちはこの物語をしばしば題材に取り上げた。
目次

1 概説

1.1 神話の背景


2 主な登場人物

3 神話

3.1 ヘーラクレースの死

3.2 エウリュステウスとの戦い

3.3 ヒュロス3代の戦い

3.4 アリストマコスの子供たち

3.5 ヘーラクレイダイのその後


4 系譜

5 文学作品

6 その他のヘーラクレイダイ

7 脚注

7.1 注釈

7.2 脚注


8 参考文献

9 関連項目

概説

ヘーラクレイダイの物語は英雄ヘーラクレースの死から始まる苦難の物語である。彼らは戦争によってエウリュステウスに勝利した後も、何代にもわたって帰還を果たすことができなかった。ヘーラクレイダイの最大の協力者、ドーリア人の王アイギミオスは国難をヘーラクレースに救われたことに感謝して英雄の息子ヒュロスを養子とした。さらに国土を3分して、自分の2人の息子デュマース、パンピューロスと、ヒュロスに分け与え[1]、王の2人の息子たちもヒュロスらヘーラクレイダイの帰還に協力した。しかしヘーラクレイダイがペロポネーソスに帰還を果たしたのはヒュロスから3代後のことだった。
神話の背景

この物語の背景にはドーリア人の大移動があるとされる。彼らはギリシア人の1分派であり、紀元前1100年頃に北方地域から南下してペロポネーソス半島に侵入し、その地に栄えていたミケーネ文明を崩壊させた後に定住した。これを裏付けるかのように、ドーリア人の征服をうけなかったアルカディア地方にキプロス方言と極めて近い方言が残っていることはよく知られている(キプロス=アルカディア方言)。この侵入によってギリシアは紀元前700年頃までの数百年のあいだ、文字資料に乏しい暗黒時代に陥った。

この移動については古代の作家、著述家たちが伝えており、ドーリア人を率いた者たちはヘーラクレイダイで、彼らは父祖の地を取り戻すためにドーリア人の協力を得て帰還を果たしたのだとされる。具体的に帰還が果たされた時代については、たとえばトゥーキューディデースはトロイア戦争の80年後にドーリア人がヘーラクレイダイとともにペロポネーソス半島を支配したと述べ[2]パウサニアスピュロスに帰国した老将ネストールの死後2世代後に、ドーリア人の遠征とヘーラクレイダイの帰還が起こったと述べている[3]

またドーリア人にはヒュレイス、デュマナタイ、パンピュロイの3つの部族があるが、各部族の名はヒュロスと、アイギミオスの2人の息子デュマース、パンピューロスに対応している[4]。こうした伝承が生まれた背景にはドーリア人が特に信仰していた神の中にヘーラクレースがあり、ペルセウス王家の子孫であるヘーラクレースの伝説に結びつけることで自身の正当性を主張したことが考えられる[5]


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