『ヘンリー八世』(ヘンリーはっせい、The Famous History of the Life of King Henry the Eighth)は、イングランド王ヘンリー八世の生涯を描いたウィリアム・シェイクスピア作の歴史劇。
『ヘンリー八世』という題名は1623年の「ファースト・フォリオ」で初めて使われたもので、発表当時の文献には『すべて真実』(All is True)とある。文体から、シェイクスピアの単独執筆作品ではなく、後継者のジョン・フレッチャーが共作したか、あるいは改訂した可能性が指摘されている。その構成には「後期ロマンス劇」の特徴がいくつか見られる。
1613年、『ヘンリー八世』を上演中のグローブ座が全焼した。特殊効果として使用した大砲の弾が劇場の草葺きの屋根に火をつけたためだった。 シェイクスピアの歴史劇でいつも使われるラファエル・ホリンシェッドの『年代記(Chronicles)』の他に、ジョン・フォックス(John Foxe
材源
シェイクスピアは劇的な目的と入り組んだ素材を感情の流れに沿って見られるようにするために、『ヘンリー八世』を歴史通りには描いていない[3] 。20年間におよぶ事件を圧縮したのみならず、順番も入れ替えた。『ヘンリー八世』では、バッキンガム公に対する大逆罪の裁判は誤りかつ冤罪であったことを暗に指し示しているが、はっきりとは言っていない。同様に、他の微妙な問題についても曖昧な姿勢を取っている。たとえば、アン・ブーリンの不名誉と斬首については慎重に避け、ヘンリー八世の以後の4人の妻たちのことについてもまったく触れていない。
創作年代「ファースト・フォリオ」(1623年)の『ヘンリー八世』の表紙の複写
サミュエル・ジョンソン、ルイス・シオボルド(Lewis Theobald)、ジョージ・スティーヴンス(George Steevens)、エドモンド・マローン、ジェームズ・ハリウェル=フィリップスといった18世紀・19世紀の指導者的研究者たちは、この劇の前テューダー朝的性質が、テューダー家(エリザベス一世)によって母親(メアリー)を斬首されたジェームズ一世統治期(1603年 - 1625年)では上演できなかったはずだという理由から、この劇の創作年代を1603年以前だとしていた[4]。しかし、ステュアート朝時代を通して、ヘンリー八世を好意的に描いた『見ればおわかり』、エリザベス一世を好意的に描いた『If You Know Not Me, You Know Nobody』が上演・出版・再版されたという事実がある[5]。
『ヘンリー八世』の上演は、複数のグローブ座全焼の記録に残っている。火事が起こったのは1613年6月29日だが、当時のある記録にこの芝居は「それ以前に2、3回も演っていない」とあることから、比較的新しい作品だったと考えられている[6]。 『ヘンリー八世』の最初の上演は、1612年から1613年にかけてのエリザベス・ステュアートの結婚祝賀セレモニーの一環だったと信じられている。しかし、記録に残っているのは前述のグローブ座の火事の時が最初である。 火事から15年経った1628年6月29日、国王一座はグローブ座で『ヘンリー八世』を再演した。その時の上演を当時のバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズが観劇して、劇中バッキンガム公が処刑されたところで席を立ったという(その約2ヶ月後、ヴィリアーズは暗殺された)[7]。 1662年から1706年までヨーク公一座のプロンプターを勤めたジョン・ダウンズの『Roscius Anglicanus 』(1708年)にも、この劇についての言及がある[8]。ダウンズはヘンリー八世を最初に演じたのはジョン・ローウィン(John Lowin
上演史
王政復古期の1664年、サー・ウィリアム・ダヴェナント(William Davenant)がトマス・ベタートン(Thomas Betterton)主演で『ヘンリー八世』を上演し、サミュエル・ピープスが観劇した。
1720年代にはコリー・シバー(Colley Cibber)の改定版がしばしば上演された。
19世紀には、この劇のスペクタクル性が大変人気があった。とくに1816年のチャールズ・キーン(Charles Kean)主演の舞台は壮麗だった。
1888年にエレン・テリーと共演したヘンリー・アーヴィング(Henry Irving)は枢機卿ウルジーを当たり役にした。
ハーバート・ビーボン・トゥリー(Herbert Beerbohm Tree)は劇の壮観さを売りとして、かつてないほど凝った劇にした[10]。
19世紀以降は、1933年、サドラーズウェルズ劇場でのチャールズ・ロートン(ヘンリー八世)、1959年のシェイクスピア記念劇場(現ロイヤル・シェイクスピア・シアター )でのジョン・ギールグッド(ウルジー)&ハリー・アンドリュース(ヘンリー)などの上演があるが、人気はなくなり、上演されることも滅多になくなった。しかし、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーによる上演(1996年 - 1997年)は批評的に好評で、今後、上映される機会が増える可能性もある。 『ヘンリー八世』はシェイクスピアと、シェイクスピアの跡を継いで国王一座のメイン座付作家となったジョン・フレッチャーとの共作であると言われることが多い。しかし、それを証明する当時の記録は何もない。共作説の根拠として、いくつかの場面で使われる韻文のスタイルが、シェイクスピア作品よりフレッチャー作品によく見られるものだからである。しかし、たとえフレッチャーが関わっていたにしても、合作なのか改訂しただけなのかはわからない。 フレッチャーとの合作説を最初に指摘したのは、フランシス・ベーコン専門家のジェームズ・スペディング(James Spedding
作者
登場人物ヘンリー八世(ハンス・ホルバイン子・画、1536年頃)枢機卿ウルジー(Sampson Strong画、1526年)王妃キャサリン(16世紀)