ヘンリー・モリス
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ヘンリー・モリス人物情報
別名ヘンリー・マディソン・モリス
生誕
1918年10月6日
テキサス州ダラス
死没 (2006-02-25) 2006年2月25日(87歳没)
カリフォルニア州サンティー
国籍 アメリカ合衆国
出身校ライス大学
ミネソタ大学大学院
学問
研究分野水理学創造科学
研究機関ルイジアナ大学ラファイエット校
南イリノイ大学
バージニア工科大学
学位Ph.D.(水理学)
主な業績創造科学の提唱
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ヘンリー・マディソン・モリス(Henry Madison Morris、1918年10月6日 - 2006年2月25日)はアメリカ合衆国キリスト教弁証家工学者。専門は水理学創造科学の中でも若い地球説の支持者である。創造科学の学会、研究所創設に関わっており、「創造科学の父」として知られている[1][2]。1961年にジョン・ウィットコムと共同で執筆したThe Genesis Floodが有名[1][3][4]

聖書の無誤性を信じるモリスは進化論に対して反対し、地球の年齢宇宙の年齢についても疑問視している[5]。モリスの手法や思想は現代創造科学界では広く受け入れられているが、自然科学界だけでなく、古い地球説有神的進化論を採用する創造論主流派からも拒絶されている[6]
生い立ち、私生活

1918年10月6日、ダラス生まれ[7]。1920年代から30年代をテキサス州で過ごし、ライス大学土木工学を学び1939年に卒業[8][9]。その後、1940年1月24日にメアリー・ルイーズと結婚し、6人の子供をもうける[10]。モリスとメアリーは生涯を共にした[3][8]

大学生までのモリスは信仰心が篤くなかったが、大学卒業後すぐにキリスト教信仰を持ち、聖書を誤りのない神の言葉として受け入れた[9]
経歴

1939年に大学を卒業したのち、モリスは技師として3年間働いた[10]。その後、ライス大学に戻って1946年まで土木工学を教え、1冊目の短い本を書いた[10]。これは、進化論に対する回答を試みたものであった[11]。その後、1951年までミネソタ大学ツインシティー校で学び、水理学に関して1948年に修士、1950年にPh.D.の学位を取得した[8][10]。1949年に彼は全米科学協会に入会し、その考えを変えようと試みた[12]。1951年にはルイジアナ大学ラファイエット校土木科学部の主任教授に就任し、1956年秋には工学部長に就任した[10]。その後、1957年からは南イリノイ大学の応用科学部教授に就任した[10]

1959年、モリスはバージニア工科大学の土木工学部門において水理学の教授となり、ここでも土木工学部長を務めた[9]。ここで、彼はJ・M・ウィガートと共に治水に関する先進的な教科書を執筆し、その後10年間に渡り全米最大の土木工学部門でリーダーシップを発揮した[12][13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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