ヘンリー・メリヴェール
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

サー・ヘンリー・メリヴェール (Sir Henry Merrivale[1][2]) は、カーター・ディクスン(ジョン・ディクスン・カーの別名義)作の推理小説に登場する架空の名探偵。イギリス人。

ヘンリー・メリヴェール卿は、カー名義によるギデオン・フェル博士と並ぶカー作品を代表する探偵である。通称H・M。初登場は『プレーグ・コートの殺人[3]。他の主な登場作品は 『白い僧院の殺人』『ユダの窓』『貴婦人として死す』など。
経歴

1871年2月6日[4]サセックス州グレート・ユーボロ近郊のクランリ・コートに生まれる。父は第8代准男爵ヘンリー・セント・ジョン・メリヴェール、母は牧師の娘でアグネス・ホノーリア・ゲイル(以上は、H・M本人の自叙伝による[5])。

第一次世界大戦中はイギリス陸軍省諜報部部長[6]として活躍したが、終戦後は陸軍省の閑職に追いやられている[5]。ただし、第二次世界大戦中には『かくして殺人へ』『九人と死で十人だ』で陸軍省情報部長として活躍している。医師[7]法廷弁護士の資格を持つ。

記録に残る最初の事件は、1930年9月6日に起きた『プレーグ・コートの殺人』で、以後数多くの難事件を解決する[5]
人物像

身長177センチメートル、体重100キログラムの巨体で、大きなはげ頭、小さい鋭い眼、鼈甲の眼鏡がずり落ちるほどの低い鼻、苦虫をかみつぶしたようにゆがんでいる口、丸い仏陀のような顔を持つ[8]。「マイクロフト」のあだ名がある[9]

風雪にさらされて色も判然としないシルクハットと、虫の食った毛皮襟のロングコートを特別に大事にしている[10]。戦闘的社会主義者で、三文小説を読みふけることと猥談を好み、口を開けば不平不満と辛辣な言葉を浴びせるが、実は人がよく心の優しい人物である。

扱う事件は密室殺人や人間消失などの不可能犯罪が大半を占める。初期作品には怪奇趣味に彩られた作品が見られるが、徐々にその傾向は薄れ、後期作品ではドタバタ喜劇的な要素が濃くなる。
登場作品

初登場は『プレーグ・コートの殺人』(1934年)。以後『騎士の盃』(1953年)まで22の長編、2つの短編に登場している。
長編

作品内の時間順に並べた。別題、原題、発行年については著書リストを参照のこと。

1930年9月ロンドン 『プレーグ・コートの殺人

1931年12月サリー州白い僧院の殺人

1932年3月[11]ロンドン 『赤後家の殺人』

1935年4月[12]グロスターシャー州青銅ランプの呪

1935年5月フランス 『一角獣の殺人

1935年7月ロンドン 『孔雀の羽根』

1936年3月ロンドン 『ユダの窓

1936年6月[13]デヴォン州パンチとジュディ

1937年4月ロンドン 『五つの箱の死』

1938年5月サリー州 『読者よ欺かるるなかれ

1938年8月グロスターシャー州 『殺人者と恐喝者』

1938年9月サマセット州魔女が笑う夜

1938年12月ケント州 メッキの神像

1939年9月ロンドン郊外パインハム[14]かくして殺人へ

1940年1月大西洋航路 『九人と死で十人だ

1940年7月デヴォン州 『貴婦人として死す

1940年9月ロンドン 『爬虫類館の殺人』

1945年9月サフォーク州 『青ひげの花嫁』

1947年7月バークシャー州 『時計の中の骸骨』

1948年か1949年7月米国 『墓場貸します』

1950年4月モロッコ 『赤い鎧戸のかげで』

1951年6月サセックス州騎士の盃

短編

1947年 「
妖魔の森の家」 - 『妖魔の森の家』(創元推理文庫[15]に所収。

1956年 「奇蹟を解く男」 - 『パリから来た紳士』(創元推理文庫)[15]に所収。

映像作品

映像作品では、イギリス人俳優デヴィッド・ホーン(英語版)、イギリス人俳優マーティン・ワイルデック(英語版)、イタリア人俳優アドルフォ・チェリの3人が、いずれもテレビドラマにおいてヘンリー・メリヴェール卿を演じている。

ユダの窓 "The Judas Window" (イギリス 1964年)監督:エドガー・レフォード 音楽:ジョン・アディソン出演:デヴィッド・ホーン(ヘンリー・メリヴェール卿)、クリストファー・ギニー(ジミー・アンズウェル)、ローズマリー・ニコルズ(メアリー・ヒューム)、ピーター・メイデン(エイヴォリー・ヒューム)、アラン・ロウ(レジー・アンズウェル)、キャスリーン・パー(アメリア・ジョーダン)、ニール・ウィルスン(モットラム警部)、レウェリン・リーズ(ウォルター・ストーム)

かくして殺人へ "And So to Murder" (イギリス 1969年)監督:ダグラス・カムフィールド出演:マーティン・ワイルデック(ヘンリー・メリヴェール卿)、スザンヌ・ニーヴ(モニカ・スタントン)、ウィリアム・ラッセル(ビル・カートライト)、ジーン・ハーヴェイ(フランシス・フラー)、ステファニー・ビッドミード(ティリー・パーソンズ)、ジョン・ベイリー(ハワード・フィスク)、バーナード・スピアー(トム・ハケット)、マックス・ベイコン(アーロンスン)

ユダの窓 "L'occhio di Giuda" (イタリア 1982年)監督:パオロ・ポエーティ 脚本:ウンベルト・チャペッティ出演:アドルフォ・チェリ(ヘンリー・メリヴェール卿)、ジャンニ・ガルコ(ジェームズ・アンズウェル)、ダニエラ・ポッジ(メアリー・ヒューム)、ダニエレ・グリッジョ、カルロ・ヒンターマン、レナート・スカルパ、フルヴィオ・ミンゴッツィ

脚注^ "Henry" の日本語表記について、早川書房は「ヘンリー」、創元推理文庫は「ヘンリー」と「ヘンリ」の2つの表記がある。
^ "Merrivale" の日本語表記について、早川書房は「メリヴェール」、創元推理文庫は「メリヴェール」と「メリヴェル」の2つの表記がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef