ヘンリー・フィッツアラン_(第19代アランデル伯)
[Wikipedia|▼Menu]

第19代アランデル伯
ヘンリー・フィッツアラン
Henry FitzAlan
19th Earl of Arundel
アランデル伯爵フィッツアラン家(英語版)


称号第19代アランデル伯爵、第9代マルトレイヴァース男爵ガーター勲章勲爵士(KG)
敬称My Lord
出生1512年4月23日

死去 (1580-02-24) 1580年2月24日(67歳没)
イングランド王国 サセックスアランデル城
配偶者キャサリン(旧姓グレイ)
 メアリー(旧姓アランデル)
子女家族参照
父親18代アランデル伯ウィリアム(英語版)
母親アン(旧姓パーシー)
役職宮内長官(英語版)、オックスフォード大学総長(英語版)(1559)、貴族院議員、枢密顧問官
テンプレートを表示

第19代アランデル伯爵ヘンリー・フィッツアラン(英語: Henry FitzAlan, 19th Earl of Arundel, KG, PC1512年4月23日 - 1580年2月24日)は、イングランドの貴族、廷臣。
経歴

1512年4月23日、第18代アランデル伯爵ウィリアム・フィッツアラン(英語版)とその後妻アン(第3代ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシーの娘)の間の長男として生まれる[1][2]

ケンブリッジ大学で学ぶ[2]。1533年にマルトレイヴァース男爵として貴族院に召集され、1544年には父の死により第19代アランデル伯爵位を継承した[1][2]。同年にフランスで戦った[2]

1546年には枢密顧問官に列した[1][2]。同年から1550年にかけて宮内長官(英語版)を務めた[1][2]

1547年ヘンリー8世崩御にあたって12人会議のメンバーの1人に指名された[2]エドワード6世の戴冠式では大司馬を務めた[1][2]

初代ノーサンバランド公ジョン・ダドリーに敵意を持たれ、1551年11月から1552年12月までロンドン塔に投獄された[1][2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef