ヘンリー・ジョージ
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ヘンリー・ジョージ古典派経済学
ヘンリー・ジョージ
生誕 (1839-09-02) 1839年9月2日
ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (1897-10-29) 1897年10月29日(58歳没)
ニューヨーク市
国籍 アメリカ合衆国
影響を
受けた人物ジョン・ロック
ジョン・スチュアート・ミル
デヴィッド・リカード
アダム・スミス
フランソワ・ケネー
影響を
与えた人物アルバート・ジェイ・ノック(英語版)
ジョン・デューイ
フィリップ・ウィックスティード
シルビオ・ゲゼル
スペンサー・ヒース(英語版)
ハーバート・サイモン
実績ジョージズム
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ヘンリー・ジョージ(Henry George、1839年9月2日 - 1897年10月29日)はアメリカ合衆国作家政治家政治経済学者。私的所有をベースとしながらも、自然とりわけ土地は人類の共有財産との考えに基づき、諸を廃止し地価税への一本化(土地単税)を図る、ジョージズムの提唱者としても知られる。主著は『進歩と貧困(英語版)』(1879年)。
生涯

ペンシルベニア州フィラデルフィアの中下層階級の家庭に10人兄弟の次男として生まれる。14歳で公式の教育課程を終え、1855年4月には15歳にして前檣士となりメルボルンカルカッタへと渡航した。海外生活を1年数ヶ月で切り上げると帰郷し、植字工の徒弟を務めた後カリフォルニア州に向かう。ゴールドラッシュで一攫千金を狙うも叶わなかったものの、1865年には新聞社に職を得、印刷工を手始めにジャーナリスト編集者を経て社主にまで上り詰めることとなる。

この間、18歳のオーストラリア人女性・アニー・コーシナ・フォックスと恋に落ち、彼女と一緒に暮らしていた叔父(フォックスは孤児であった)の猛反対を押し切った末、1861年に結婚。結婚生活は順調に進み、4人の子を儲けた。ジョージ自身は福音派に属していたものの、フォックスの母親がカトリックアイルランド人であった関係上、子供はローマ・カトリックの信徒として育てられた。このうち、長男のヘンリー・ジョージ・ジュニア(1862年 - 1916年)はニューヨーク州選出の下院議員になった[1]高峰譲吉の妻キャロラインの妹と結婚し、1906年には来日し、日本の鉄道についての報告を雑誌に発表したりもしている[2]。次男のリチャード・F・ジョージ(1865年 - 1912年)は彫刻家として成功を収めた[1][3] ほか、次女のアンナ・アンジェラ・ジョージ(1879年生)は映画監督セシル・B・デミルの兄ウィリアム・C・デミルと結婚し、女優アグネス・デ=ミル[4] やマーガレット・ジョージ・デ=ミルの母となる[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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