ヘンダーソン
City of Henderson
ヘンダーソンからマカルー山脈を見上げる。
標語 : "故郷と呼べる場所"
位置
クラーク郡内における位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度02分23秒 西経114度58分52秒 / 北緯36.03972度 西経114.98111度 / 36.03972; -114.98111
ヘンダーソン(英: Henderson)は、アメリカ合衆国ネバダ州のクラーク郡にある都市。ラスベガスの25q南東に位置し都市圏に含まれる。人口は約31万人(2020年)で、ネバダ州ではラスベガスに次ぐ規模の都市である。ラスベガス・バレーにあり、標高は概ね500mである。 ヘンダーソン市は2003年に市制50周年を迎えた。第二次世界大戦の「魔法の金属」だったマグネシウムを国内に供給するために1940年代にベイシック・マグネシウム工場が建設されたときに、町として出現した[2]。この工場はアメリカ合衆国陸軍省に、焼夷弾の筐体や航空機のエンジン、機体などの部品に使われるマグネシウムを供給した。ジム・ギブソン市長の祖父フレッド・D・ギブソンが「魔法の金属」を生産する秘訣を学びにイギリスに派遣された当初の技師たちの一人であり、これが最終的にアメリカ合衆国と連合国軍が戦争に勝利する一因になった。「アメリカの防衛のために生まれた」ヘンダーソンだったが、戦後の成り行きが不透明だった1953年4月16日に市制が布かれた。 1947年になって、マグネシウムが防衛のために必要ではなくなり、ベイシック・マグネシウム会社の従業員14,000人の大半は町を離れた。学校の入学者は3分の1までに減り、工場労働者のために立てられた家屋の半分以上は空き家になった。陸軍省資産監督部は実際にヘンダーソン市に戦時の過剰な資産を売却する提案を行った。 ヘンダーソン市を救うためにネバダ州議会は、週末にヘンダーソン市を訪れて、ベイシック・マグネシウム会社を州で管理する可能性を調査した。この訪問から数日以内に、議会はネバダ州コロラド川管理委員会に工場を買収する権限を与えた。ベイル・ピットマン州知事は1947年3月27日にこの法案に署名し、ヘンダーソン市の戦時過剰資産を救済することになった。 ヘンダーソン市は地元の産業の援助もあって、1953年に公式に市制を布いた。この年5月23日、人口は7,410人であり、初代市長としてジム・フレンチ博士を選出した。当初市域面積が13平方マイル (34 km2) に過ぎなかった市は急速に成長し繁栄を始めた。今日、市域面積は94平方マイル (240 km2) にまで拡がっており、ネバダ州で人口では第2位の都市になった。公式のスローガンは「ヘンダーソン、故郷と呼べる場所」であり、小さな町の価値を享受しながら大都市の効率も追求できる地域社会を反映するものになっている。 主要なショッピング・モール、複合映画館、レストランおよびカジノ・リゾートの数が増え、ヘンダーソンの住人は余暇時間に様々な選択肢がある。ラスベガス市と境を接し、世界的に有名なラスベガス・ストリップともそれほど遠くない距離にある。ヘンダーソン市が長い間芸術や文化のプログラムを支援してきたことを証言する「シェイクスピア・イン・ザ・パーク」は1996年に10周年を迎えた。市内にはネバダ州最大のレクレーション施設、「リバティポイントの多世代施設」があり、また州唯一の野鳥保護区域もある。また様々な文化行事も支援しており、その多くはその種の施設としてはネバダ州最大である屋外円形競技場で開催されている。 マッカラン国際空港からは数マイルの距離にあり、クラーク郡が最近取得したヘンダーソン・イグゼキュテブ空港はマッカラン空港の代替として大きな改修と開発が計画されている。 市のマスタープランにある住宅地区としては、アンセム、アンセム・カントリークラブ、ブラックマウンテン・ビスタス、カリコ・リッジ、チャンピオン・ビレッジ、グリーン・バレー、グリーン・バレー・ランチ、インスピラーダ、レイク・ラスベガス、マクドナルド・ハイランズ、マクドナルド・ランチ、マデイラ・キャニオン、セブンヒルズ、サンシティ・アンセム、サンシティ・マクドナルド・ランチ、タスカニー・レジデンシャル・ビレッジ、およびホイットニー・ランチがある。 1988年、ネバダ太平洋工業生産会社(略称PEPCON)のロケット燃料工場が炎に包まれた。何度も爆発が起こり、あるときはマグニチュード3を超える震度を記録した。死者2人を出した。この爆発によってヘンダーソン市の開発方向性は工業から現在あるような大規模住宅地域へ移行した。今日PEPCONの爆発の跡は残っておらず、跡地は大半がオフィスビルとなっている。 2006年、マネー・マガジンは毎年行っているアメリカ合衆国で住みたい所トップ100を発表し、ヘンダーソンはその20位にランクされた[3]。 2007年、プリベンション・マガジンはアメリカ合衆国で歩きがいのある都市の6位にヘンダーソンを挙げた。5位はカリフォルニア州のサンディエゴで7位はワシントン州のシアトルだった[4]。ヘンダーソンには37マイル (59 km) 以上の歩行者道路がある[5]。ラスベガス大都市圏 ヘンダーソン市は1953年にネバダ州議会から認証を受けた都市であり、市制委員会とシティマネジャーの方式を採っている。2009年時点の市長はアンディ・A・ハーフェンである[6]。市政委員会は市長を含め5人、他にシティマネジャー、市検事長、市事務官がいる。 ヘンダーソンは北緯36度2分23秒 西経114度58分52秒 / 北緯36.03972度 西経114.98111度 / 36.03972; -114.98111 ヘンダーソンを取り囲む山は大半がなだらかである。マカルー山脈が市に最も近い山脈であり、その大半は数百万年前の火山の爆発で噴出した黒い岩で覆われている。この山脈の平均標高は約3,800フィート (1,160 m) である。その景観はほとんど水が無い砂漠になっている。市内にある唯一の水源はダック・クリークのような枯れ川である。 人口推移
歴史
ロケット燃料工場の火災詳細は「ペプコン大爆発」を参照
20世紀の最良の住処
最も歩きがいのある都市の一つ
市政府
地理
人口動態
年人口%±
1950
1960
1970
1980
1990
2000175,381170.1%
2010257,72947.0%
2020317,61023.2%
source:[8][9]
以下は2000年の国勢調査による人口統計データである。
基礎データ
人口: 175,381人
世帯数: 66,331世帯
家族数: 47,095家族
人口密度: 849.7人/km2(2,200.8人/mi2)
住居数: 71,149軒
住居密度: 344.7軒/km2(892.8/mi2)
人種別人口構成
白人: 80.49%
アフリカン・アメリカン: 3.76%
ネイティブ・アメリカン: 0.70%
アジア人:3.98%
太平洋諸島系: 0.42%
その他の人種: 3.16%
混血: 3.49%
ヒスパニック・ラテン系: 13.71%
年齢別人口構成
18歳未満: 25.1%
18-24歳: 7.9%
25-44歳: 32.5%
45-64歳: 24.4%
65歳以上: 10.1%
年齢の中央値: 36歳
性比(女性100人あたり男性の人口)