ヘンギスト(英語: Hengist) とホルサ(英語: Horsa) は、5世紀にアングル人・サクソン人・ジュート人を率いてブリテン島に侵攻したとされる伝説的な指導者の兄弟。兄のヘンギストはジュート人のケント王国の初代王とされている。
早期の文献によると、ヘンギストとホルサは最初に軍勢を率いてサネット島のエブスフリートに上陸し、ブリトン人の王ヴォーティガンのもとで傭兵として戦ったが、長いナイフの陰謀の後に彼と戦うことになった。ホルサはブリトン人との戦いの中で戦死したが、ヘンギストは最終的にケントを征服し、王となった。
ヘンギストという名の人物は、イギリスの伝説『フィンネスブルグ争乱断章』や『ベーオウルフ』にも登場する。
兄弟にまつわる伝説には馬が関わっているものが多く、他のゲルマン人、広く見ればインド・ヨーロッパ語族の伝説形態と類似している。ヘンギストとホルサの伝説の元になったゲルマン神話は、インド・ヨーロッパ系神話の「聖なる双子(en:Divine_twins)」と呼ばれる形態を基にしていると考えられている。 古英語ではHengest [hend?est]とHorsa [hors?]と書き、それぞれ「種馬」「雄馬」を意味する[1]。 古英語で本来「馬」を意味する言葉はeohである。これはインド・ヨーロッパ祖語の*ekwo,が元であり、ラテン語のequus、現代英語のequineやequestrian.と同根である。また現代英語のhorseの元になったHorsは、インド・ヨーロッパ祖語で「走る」という意味の*kursに起源をもつ。これはhurry(急ぐ)やcarry(運ぶ)、current (流れ)などと同根である(後の2つはフランス語からの借用語)。Horsが最終的にeohに取って代わった。このように、ゲルマン語では神聖な動物を指していた単語が別の形容詞的な単語に替えられた場合がある。例えば、bear(クマ)は本来「茶色のもの」という意味だった。 『イングランド教会史』および『アングロサクソン年代記』では弟の名をホルサ(Horsa)としているが、『ブリトン人の歴史』ではホルス(Hors)と簡略化されている。 ホルサ(Horsa)とはhorseの最初の形であるHorsを愛称にしたものではないかと考えられている[2]。 8世紀にベーダ・ヴェネラビリスが書いた『イングランド教会史』には、イングランドに最初に上陸したアングル人、サクソン人、ジュート人らの指導者としてヘンギストとホルサが登場する。ホルサはブリトン人との争いの中で戦死し東ケントに葬られた。この地にはモニュメントが建てられ、『イングランド教会史』が書かれた時期にも残っていたという。ベーダによれば、ヘンギストとホルサの父はウィクトギルス 9世紀から12世紀に成立した9つの写本によって伝えられている『アングロサクソン年代記』によれば、449年にヴォーティガンがピクト人との戦いで助力を得ようとして、ヘンギストとホルサをブリテン島に招いた。兄弟らは各地でピクト人と戦いつつ、故郷のドイツに向けて「ブリトン人の無気力さと、土地の豊かさ」を説く手紙を書き送り、支援を求めた。これにより、さらに多くの「ドイツから3つの勢力、すなわち古サクソン人、アングル人、そしてジュート人」がブリテン島にやってきた。サクソン人はエセックス、サセックス、ウェセックス(それぞれ東、南、西サクソンの意)に、ジュート人はケントとワイト島とハンプシャーの一部に、アングル人はイースト・アングリア、マーシア、ノーサンブリアに住み着いた。
名前
文献
『イングランド教会史』『イングランド教会史』(サンクトペテルブルク写本)
『アングロサクソン年代記』