ヘレニズム哲学
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ヘレニズム哲学 (: Hellenistic philosophy ヘレニズム思想とも[1]) は、西洋哲学史において、ヘレニズム時代すなわち前4世紀末から前1世紀までのギリシア哲学を指す。また、これを継いだ6世紀までのローマ哲学を含む場合もある[1]
概要

ヘレニズム時代とはアレクサンドロス3世(大王)の死後からローマ帝国による地中海世界統一までの、ヘレニズム諸国が存続した期間を指す。まず、「自然に即した生」を実践するキュニコス派、徹底的な現象主義と刹那的快楽主義を説くキュレネ派、論理的な正しさを追求したメガラ派といった常識を攻撃するような思想を持つ学派がヘレニズム時代初めの混乱期に興隆した[2](いずれも始祖はソクラテスの弟子である)。しかしその後長きにわたって栄えることになるのはそれらより穏健なプラトン学派エピクロス派ストア派の三学派であった(ペリパトス派はヘレニズム時代末期まで振るわなかった)[2]。これら三学派の根城、つまりプラトン学派のアカデメイア、エピクロス派のエピクロスの園、ストア派のストア・ポイキレは全てアテナイに存在し、紀元前3世紀のアテナイは諸国から哲学を志す者が集まる哲学の最大の中心地であった[2]

一方、アレクサンドリアでは数学天文学医学文献学といった分科された学問が発展した[3]。紀元前2世紀以降はローマの勢力が拡大するとともに哲学の拠点が拡大し、アテナイはかつてほどの求心力を持たなくなった[4]
研究史

一般的にヘレニズムの時期に生まれた哲学個人主義世界市民主義的傾向が色濃いと言われる[5]。また、ヘレニズム期の哲学は「反知性の教条主義」へ堕落している[6]とか、プラトンやアリストテレスより「小粒」だ[7]などといった評価がなされることもある。こういった言説のように時代背景に基づいて評価し、さらにその価値を貶めるといったことがヘレニズム哲学に対してかつて非常に頻繁になされてきた。ヘーゲルも以下のように述べている:不幸な現実のなかにあって、人間は自分の内に引きこもり、世界の内にはもはや見出し得ない統一をそこに探し求めねばならなかった ?  ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル 『哲学史講義』[8] 

20世紀半ばからはこういった否定的な評価が払拭されていった[9]。また、ヘレニズム哲学に対してオリエント地域の思想が影響したという主張がかつて盛んになされた[10]が、これも懐疑主義のピュロンに対するものを除けば聞かれなくなっており、古典期のギリシア哲学との関係を重視して研究がなされるようになっている[9]
主な学派とその思想
キュニコス派

キュニコス派禁欲的な哲学の学派で、紀元前4世紀のアンティステネスに始まり紀元後5世紀まで存続した。彼らは、自然と一致しつつ美徳の生活を送るべきだと信じていた。つまり、彼らは権力、名声に縛られた生活を拒絶し、物を所有することのない生活を送った。

アンティステネス (紀元前445年-紀元前365年)

シノペのディオゲネス (紀元前412年-紀元前323年)

テーバイのクラテス (紀元前365年-紀元前285年)

メニッポス (紀元前3世紀頃)

デメトリオス・キュニコス (紀元後10年-80年)

メガラ派

メガラ派は弁証学派とも呼ばれ、様々なパラドクスを考えて論理学的な思索に専心した。

メガラのエウクレイデス (紀元前435年頃-紀元前365年頃)

エウブリデス (紀元前435年頃-紀元前365年頃)

ディオドロス・クロノス ( -紀元前284年頃)

キュレネ派

キュレネ派は極度に快楽主義的な学派で紀元前4世紀にキュレネのアリスティッポスが創始した。キュレネ学派の人々は快楽、特に刹那的な満足を最も良いものだと考えた。キュレネ派は100年ほどの間により穏健なエピクロス派の教義に取って代わられた。

キュレネのアリスティッポス (紀元前435年-紀元前360年)

プラトニズム

プラトニズムプラトンの哲学のことで、プラトンの弟子たちによって維持・発展された。その中心的な概念はイデア論で、超越的で完璧な原型が存在して、それに対応する日常的な個々のものは原型の不完全な模造にすぎないというものであった。最高のイデアは善のイデアで、存在の源泉であり、理性によってその存在を知り得るとされた。初期のアカデメイア派が数学的な存在論体系を構築しようとしたのに対して、紀元前3世紀にアルケシラオスが懐疑主義を採用してこれがこの学派の中心教義となった。ヘレニズム時代の各学派の間での活発な議論において、この懐疑主義を採用したアカデメイア派が非常に大きな役割を果たした。彼らの批判に応答することでストア派やエピクロス派が自説をより精緻なものへと発展させていった[3]。後に紀元前90年にアスカロンのアンティオコスがストア派の要素を追加して懐疑主義を放棄し、同時期にアカデメイアが戦火に焼かれることで中期プラトニズムの時代が始まった。紀元後3世紀には、東洋的神秘主義を採用することでプラトニズムはネオプラトニズムに進化した。

スペウシッポス (紀元前407年-紀元前339年)

クセノクラテス (紀元前396年-紀元前314年)

アルケシラオス (紀元前316年-紀元前232年)

カルネアデス (紀元前214年-紀元前129年)

アスカロンのアンティオコス (紀元前130年-紀元前68年)

プルタルコス (紀元後46年-120年)

逍遥学派

逍遥学派アリストテレスの哲学を維持・発展した哲学者たちのことで、彼らは物の究極的基盤を理解するために実験をすることを主張した。人生の目的は有徳な行動からくる幸福で、有徳な行動は超過と不足の間にある中庸を保つことからなるとした。

アリストテレス (紀元前384年-紀元前322年)


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