ヘルマン・エビングハウス
Hermann Ebbinghaus
生誕 (1850-01-24) 1850年1月24日
プロイセン王国ライン州バルメン
ヘルマン・エビングハウス(Hermann Ebbinghaus、1850年1月24日 - 1909年2月26日)は、ドイツの心理学者。記憶に関する実験的研究の先駆者で、忘却曲線を発見したことで知られる。また、初めて学習曲線に言及した人物で、反復学習の分散効果(英語版)を発見した。新カント派の哲学者ユリウス・エビングハウス(英語版)の父親。
生涯(英語版)で、裕福な商人の子として生まれた。幼少期は、ルター派を信仰して町のギムナジウムの生徒だった、くらいしか分かっていない。17歳の時(1867年)にボン大学に入学、ここで歴史や文学を学ぶつもりだったが、彼は哲学に興味を持った。1870年の普仏戦争で研究が一時中断するも、1873年に哲学の論文を書き上げて、23歳で博士号を取得した。続く3年間はハレ (ザーレ)とベルリンで生活していた[1]。
哲学博士の取得後、エビングハウスは英仏で学生の家庭教師をして生計を立てていた。ロンドンの古書店でグスタフ・フェヒナーの著書『精神物理学要綱(Elemente der Psychophysik)[2]』と出会い、これに感化されて彼は有名な記憶実験を行うこととなる。ベルリン大学で研究を始めた彼は、ドイツで3番目の心理実験研究所(ヴィルヘルム・ヴントとゲオルク・エリアス・ミュラーに続く)を設立し[3]、1879年から自身の記憶研究を始めた。1885年、彼の記念碑的な書籍『Uber das Gedachtnis. Untersuchungen zur experimentellen Psychologie』が出版された。これは後に英語版を経て、日本でも『記憶について : 実験心理学への貢献』が出版されている[4]。この出版物の功績は非常に大きく、彼はベルリン大学の教授に就任した。
1894年、恐らくは論文不足のために哲学部長への昇進が見送られたエビングハウスはブレスラウ大学(現在のポーランド、ヴロツワフ大学)に移籍[3]。ブレスラウにいる間、彼は子供たちの精神能力が学校の日にどのように低下したのかを研究する委員会に従事した。どのように精神能力を計測したかの詳細は見つかっていないが、当委員会で成功をなしとげた成果が、後に知能指数検査の基礎となった[5]。彼はブレスラウにも心理実験研究所を設立した。
1902年、エビングハウスは次の書籍『Die Grundzuge der Psychologie(心理学の原則)』を出版した。それはすぐに高い評価を受け、死後もずっと好評が続いた。1904年、彼はハレに引っ越して、人生の晩年となる数年間をここで過ごした。1908年、最後の出版物『Abriss der Psychologie(心理学の概要)』が世に出た。これもまた高評価が続いて、8版の増刷がされるまでになった[5]。この刊行からしばらく後の1909年2月26日、エビングハウスは肺炎により59歳で死去した。 エビングハウスは、当時の常識では無理と思われていたが、実験によってより高次な精神的過程が実際に研究できることを明快に示した。 記憶実験において、最も混乱をきたす潜在的な斑(むら)を抑えるためには、記憶するのは容易でありつつも、事前に学習認知されない言語リストを用いた復唱が必要となる。そこでエビングハウスは、後に「ナンセンス音節
自分の記憶の研究