ヘルベルト・グレーネマイヤー
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ヘルベルト・グレーネマイヤー
Herbert Gronemeyer
2017年
基本情報
出生名Herbert Arthur Wiglev Clamor Gronemeyer
生誕 (1956-04-12) 1956年4月12日(68歳)
西ドイツ ニーダーザクセン州ゲッティンゲン
出身地 ドイツ
ジャンルロックポップスブルース
職業シンガーソングライター俳優
担当楽器ボーカルピアノギター
活動期間1974年 - 現在
レーベルIntercord Ton
EMI
Gronland Records
公式サイト ⇒公式ウェブサイト

ヘルベルト・グレーネマイヤー(Herbert Gronemeyer, 本名:ヘルベルト・アルトゥーア・ヴィグレフ・クラモーア・グレーネマイヤー Herbert Arthur Wiglev Clamor Gronemeyer, 1956年4月12日 - )は、ドイツロック歌手

ドイツでもっとも人気のある歌手の一人であり、1984年以来発表したすべてのアルバムがドイツのヒットチャート1位を獲得している。また俳優としても『U・ボート』などの映画に出演している。
経歴
デビュー

3人兄弟の末っ子としてニーダーザクセン州ゲッティンゲンに出生。生後4か月の時に一家でノルトライン=ヴェストファーレン州ボーフムに引っ越し、そこで育った。音楽好きな母方の親類の影響で8歳からピアノを習い始め、学校でも合唱団に加わっていた。

高校在学中に、俳優である友人とともにボーフムの劇場でピアノ演奏のアルバイトをして初めての稼ぎを得た。その劇場ではコレペティトールとしても働き、18歳の時初めて曲を作った。そこで演技の才能も見出され、舞台に立つようになった。演劇学校に通った経験はないものの、テレビドラマにも出演し始め、1977年には映画に初出演した。1978年、ジャズ・ロックバンドのリードボーカルとして、初めてのレコードを発表した。1979年には出演したテレビドラマで広く知られるようになり、またシュトゥットガルトの劇場で『ヴェニスの商人』の音楽を担当した。同年には初めてのソロアルバム『Gronemeyer』を発表したが、酷評された。

1981年には2枚目のアルバム『Zwo』を発表したが、これも興行的には失敗に終わった。しかし同年ウォルフガング・ペーターゼン監督の映画『U・ボート』に出演、世界的な大ヒットとなり俳優として注目された。翌年には東西ドイツの合作映画『哀愁のトロイメライ』でナスターシャ・キンスキーと共演、ロベルト・シューマンを演じて俳優業は順調だった。しかし彼がもっとも力を入れていた音楽活動では不遇が続き、この間アルバムを2枚出すもコンサートには客が入らず中止が相次ぎ、1983年にはついにレコード会社との契約を打ち切られた。
シンガー・ソングライターとしての成功

1984年、EMIと契約して再起を期し、アルバム『4630 Bochum』を発表。大ヒットとなり、79週にわたってドイツのアルバム売上げチャート100位以内をキープした。当時マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界的大ヒットであったにもかかわらず、『4630 Bochum』はその年ドイツ国内でもっとも売れたアルバムとなった。このアルバムの中のシングル曲『Bochum』と『Manner』で流行歌手としての地位はゆるぎないものとなった。アルバム名は彼の故郷であるボーフムとその郵便番号(当時)から取られている。

1985年、映画『Vater und Sohne』でブルーノ・ガンツジュリー・クリスティバート・ランカスターと共演。1986年に発表したアルバム『Sprunge』には当時のヘルムート・コール政権を風刺するような曲が収録されており、政治的立場の表明として注目された。同年、反核を訴えるロックフェスティバル「Anti-WAAhnsinns-Festival」に参加、2日間で10万人の聴衆を集めた。1988年にはアルバム『O』を発表。初めて英語詞の曲を収録し、初の海外ツアーとしてカナダ・ツアーを行った。1989年、ベルリンの壁崩壊に合わせてアルバム『Luxus』を発表。

1993年、アルバム『Chaos』を発表、これもヒットチャート1位を獲得。ツアーには60万人を動員した。1994年には非英語圏のアーティストとして初めてMTVの『MTVアンプラグド』に出演した。
ヒットメーカー

1998年には家族とともにロンドンに移住したが、それ以後も音楽活動はドイツ語で続けている。同年アルバム『Bleibt alles anders』を発表、4週間足らずでプラチナ・ヒットとなった。ツアーには35万人を動員。しかしこの年11月に兄と妻が相次いで死去し、ショックのあまり1年にわたり音楽活動を休止した。

2000年、ハノーヴァー万国博覧会に合わせてオーケストラ用の曲を発表(万博自体は興行的に大失敗に終わった)。2002年、アルバム『Mensch』を発表。大ヒットとなり、同名のシングル曲でも初めてヒットチャート1位を獲得した。その年に始めたツアーは150万人を動員し、本来2003年7月に終了する予定だったが、2005年1月まで延長された。このツアーの様子を収めたDVDもその年の売上げ1位を記録。

2006年の2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会に合わせ、マリ共和国のデュオアマドウ・エ・マリアム(英語版)との合作でシングル『Zeit, dass sich was dreht』を発表。この曲も大ヒットとなり、彼にとって2度目のヒットチャート1位となった。6月9日のミュンヘンアリアンツ・アレーナにおけるワールドカップ開会式でもこの曲をライブで披露した。


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