ヘルニキ族
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紀元前358年頃のローマ周辺地図。中央右にヘルニキ

ヘルニキ族(ラテン語: Hernici; : Hernican)は、古代のイタリア半島中部、ラティウム地方の内陸部に居住していた民族。
名称

サムニウム人と同系で、ヘルニキは岩石を意味するオスク語に由来している。
歴史

アレトリウム(Aletrium、現在のアラトリ)、フェレンテヌム(Ferentinum、フェレンティーノ)、ウェルラエ(Verulae、ヴェーロリ)、アナグニア(Anagnia、アナーニ)等の都市を建設し、都市同士で連合を組むようになった。紀元前486年ごろにはローマ共和政ローマ)の執政官スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌスの調停によって攻守同盟を締結し、その領土の一部をローマに割譲した。

紀元前358年にこの条約は更新されたが、その後敵対し、紀元前306年、ローマの執政官クィントゥス・マルキウス・トレムルスに征服された。後にローマ市民権を与えられ、ラテン語を解するようになった。
外部リンク

ローマ建国史

 この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "要記事名". Encyclopadia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press. 

更新日時:2017年12月16日(土)05:23
取得日時:2018/08/08 06:30


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