ヘルタ・ベルリン
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ヘルタ・ベルリン

原語表記Hertha, Berliner Sport-Club e. V.[1]
愛称Die Alte Dame (The Old Lady)[2]
クラブカラー   
   
創設年1892年
所属リーグ2. ブンデスリーガ
所属ディビジョン2部(2023-24)
昨季リーグ順位18位(2022-23
ホームタウン ベルリン
ホームスタジアム
ベルリン・オリンピアシュタディオン
収容人数74,649
運営法人78,8%: 777パートナーズ
21,2%: Hertha BSC e. V.[3]
代表者 ケイ・ベルンシュタイン(ドイツ語版)
監督 ダールダイ・パール
公式サイト ⇒公式サイト

ホームカラーアウェイカラーサードカラー

テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ヘルタ・ベルリナー・シュポルト・クルプ(Hertha, Berliner Sport-Club e. V.,[1] Hertha BSC (ドイツ語発音: [?h??ta? be? ??s t?se?])[4])は、ドイツの首都ベルリンに本拠地を置くサッカークラブ。「ヘルタ」とは船の名前が由来で、クラブのエンブレムもその船が掲げていた旗がモチーフになっている。クラブの通称はヘルタもしくはヘルタ・ベルリン。
歴史
戦前

1927-28シーズンでドイツ・サッカー選手権で決勝に進出したがハンブルガーSVに2-5で敗れ、準優勝に終わっている。がその翌シーズンから2連覇を達成している。

しかし、1945年からの2+4条約によりベルリンは占領地となり、クラブは長く雌伏の期間を過ごす。
ディーター・ヘーネス副会長時代

かつての名選手で、VfBシュトゥットガルトゼネラルマネージャーだったディーター・ヘーネス1996年に副会長に就任するとチームは躍進を遂げる。就任当時はスタッフは数人しか在籍していなかった。

1996-97シーズンにブンデスリーガ2部で3位となり、1990-91シーズン以来となる1部昇格を果たした。1998-99シーズンにはリーグ3位となりUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に成功する。

1999-00シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグに予備予選から参戦。アノルトシス・ファマグスタ(キプロス)を破って予備予選を突破し、1次リーグはチェルシー(イングランド)、ACミラン(イタリア)、ガラタサライ(トルコ)と同じグループとなった。ホームでチェルシー、ミランを撃破するなどの結果を残し、1次リーグを2位通過。しかし、2次リーグではFCバルセロナ(スペイン)、FCポルト(ポルトガル)、スパルタ・プラハ(チェコ)と同じグループとなり、6試合を戦って2分4敗の成績で2次リーグ敗退となった。

その後は、優勝を目指すため大物選手を補強していったが、2003-04シーズンにはこれが裏目に出てしまい、結局は12位でリーグを終える。翌シーズン以降は汚名返上して上位に食い込むものの、2006-07シーズンは終盤戦に失速し、10位に終わった。

2007年夏にはFWアシュカン・デヤガーやMFケヴィン=プリンス・ボアテングなど若手の主力を放出したが、苦しい台所事情から積極的な補強はできなかった。FCチューリッヒで2連覇を達成したルシアン・ファヴレ監督と3年契約を結び、ユース出身者や若手を重視してシーズンに臨んだ。この頃から補強も堅実路線に変更しており、後に2008-09シーズンの躍進に繋がった。

2007-08シーズンは若手MFパトリック・エベルトが順調な成長を見せ、2008年1月に獲得したMFゴイコ・カチャルが後半戦の全ての試合に出場するなど、若手主体の強化方針は一定の成功を収めた。

2008-09シーズン、フェアプレー枠により出場したUEFAカップのグループリーグは2分2敗で敗退した。UEFAカップ参戦によるリーグ戦への悪影響が心配されたが、22節から約1カ月の間首位に立つなど、大きなサプライズを残した。しかし、この頃からヘーネスとフロント上層部との対立、ファヴレの不可解な采配が大きく影響し、終盤に失速して結局4位でシーズンを終えて、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得することになった。シーズン終了後には、クラブ上層部との対立によって、長年チームの強化に携わってきたヘーネスがクラブを去っていった。
ディーター・ヘーネス退任以降

2009年夏、FWアンドリー・ヴォロニンとFWマルコ・パンテリッチの両エース、守備の要であるDFヨシプ・シムニッチが退団し、前シーズンのゴタゴタがチームに少なからず影響したこともあり、2009-10シーズンは最下位で2部降格となった。

2010-11シーズンはキャプテンのアルネ・フリードリヒの移籍もあったが、マルクス・バッベル監督が早期にチームを掌握し、2部で優勝を成し遂げ、1年での1部復帰を果たした。

しかし契約上の問題から2011年12月18日付でバッベルを解任[5]。後任にはミヒャエル・スキッベが就任した[6]が、就任後5試合で1勝も上げることが出来ず2012年2月12日に解任された[7]。その後オットー・レーハーゲルを監督に迎えたがこのシーズンは16位に終わり、2部3位のフォルトゥナ・デュッセルドルフとの入替戦に敗れ、1シーズンで2部に再び降格した[8]

ヨス・ルフカイを新監督に迎えた2012-13シーズンは2部で優勝を成し遂げ、1年で1部復帰を果たした[9]。2013年夏の移籍期間には細貝萌[10]、2014年の夏の移籍期間に原口元気が加入した。

その後は中位?下位が定位置となり、ライバルのウニオン・ベルリンが2部から昇格し躍進する一方、ヘルタは低迷を続け、2022-23シーズンには最下位で10年振りの降格が決定した[11]
タイトル
国内タイトル

2. ブンデスリーガ:3回

1989-90, 2010-11, 2012-13


ドイツ・サッカー選手権:2回

1928-29, 1929-30


DFLリーガポカール:2回

2001,2002


国際タイトル

UEFAインタートトカップ:1回

2006


過去の成績

シーズンリーグ戦DFBポカール
ディビジョン試勝分敗得失点順位
1963-64ブンデスリーガ1部30961545652414位準決勝敗退
1964-65307111240622514位1回戦敗退
1965-66レギオナルリーガ・ベルリン30290113625581位


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