ヘルシンキ
Helsinki - Helsingfors
市
Helsingin kaupunki
Helsingfors stad
左上からヘルシンキ大聖堂、スオメンリンナの要塞、ヘルシンキ元老院広場、アウリンコラティビーチ、市庁舎。
紋章
ロゴ
愛称: Stadi, Hesa[1]
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ヘルシンキ (フィンランド語: Helsinki,フィンランド語発音: [?he?l.si?.k?i]) listen[ヘルプ/ファイル]; スウェーデン語: Helsingfors, listen[ヘルプ/ファイル]、漢字表記「赫爾辛基」[4])は、フィンランドの首都で同国最大の都市である。また、バルト海東部のフィンランド湾に面した同国南部のウーシマー県の県庁所在地である。人口は616,042人(2013年2月28日現在)[5]、都市的地域の人口は 1,360,000人(2023年)、ヘルシンキ都市圏である大ヘルシンキ(英語版)の人口は1,576,438人で、フィンランドの人口全体の3割弱を占める都市域を形成している。
ヘルシンキ都市圏には核となるヘルシンキの都市的地域とエスポーやヴァンター、カウニアイネン(英語版)、周辺のベッドタウンが含まれる[6]。ヘルシンキは100万人以上が住む都市圏としては最北に位置する都市圏で欧州連合加盟国の首都としては最北に位置する都市であり、フィンランドの政治や教育、金融、文化、調査センターなど様々な分野の中心都市で、ヨーロッパでも最北の大都市である。
フィンランドで事業を行う外国企業の70%はヘルシンキ地域で事業を行っており[7]、2009年に、2012年の世界デザイン首都[8]に国際インダストリアルデザイン団体協議会(英語版)により選ばれ、僅差でアイントホーフェンを破っている。
エコノミスト・インテリジェンス・ユニットは2012年8月に住むのに適した都市の調査で、ヘルシンキは総合で8位にランクした[9]。2011年、モノクルマガジン(英語版)の調査Liveable Cities Index 2011でヘルシンキは最も住むのに適した都市に位置している[10]。
ヘルシンキはフィンランド湾に面しており、同湾にはエストニアの首都タリン、ロシアの旧都サンクトペテルブルクも面しており、歴史的にそれらの都市と密接な関係にあった(なおヘルシンキから南のタリンまでは85キロメートル (53 mi)、東のサンクトペテルブルクまでは277キロメートル (172 mi)である)。またヘルシンキは、バルト海の対岸にあり西方400キロメートル (250 mi)に位置するスウェーデンの首都ストックホルムとも歴史的に関係が深い。 ヘルシンキHelsinki (フィンランド語の発音では最初の音節に強勢が来る。フィンランド語発音: [?helsi?ki]
呼称
歴史
初期1820年以前の都市改造前のヘルシンキ。C.L.エンゲル作画18世紀に始まったスオメンリンナの要塞の建設。
ヘルシンキは1550年に交易の街としてグスタフ1世によりヘルシングフォシュHelsingforsとして、ライバルとなるハンザ同盟の都市レヴァルReval(今日のエストニアの首都タリン)に対抗するために創建された。ヘルシンキは貧困、戦争、災害に見舞われ都市の計画は少しも進まず、小さな街のままであった。1710年のペストではヘルシンキの街の住民の多くが亡くなった[12]。海軍の要塞であるスオメンリンナの要塞が築かれた18世紀になるとヘルシンキの状況も改善されたが、ロシアがスウェーデンを破った第二次ロシア・スウェーデン戦争と併合によるフィンランド大公国が成立する1809年まで十分な都市の開発は行われなかった。戦争中、ロシアはスオメンリンナの要塞を包囲した。そして、1808年の大火により市街の大部分は焼失している。
アレクサンドル1世はフィンランドでのスウェーデンの影響を減らすことやサンクトペテルブルクに近いことから首都をヘルシンキに移した。続いて1827年に起こったトゥルク大火(英語版)で当時フィンランドでは唯一の大学であったトゥルク帝国アカデミー(英語版)はヘルシンキに移転され、最終的には現代のヘルシンキ大学になった。この動きは都市の新しい役割を強化し、成長の継続を促進させた。市街の中心のほとんどがドイツ生まれの建築家カール・ルートヴィヒ・エンゲル(英語版)の計画によるサンクトペテルブルクに似た新古典主義の街並に変えられている。他の点では、鉄道や産業化などの技術の進歩は都市の成長の背後にある重要な要素であった。