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ヘルゴラント島現地名: Helgoland(ドイツ語)、
Lun, Halilonj(フリジア語)
地理
場所北海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯54度10分57秒 東経7度53分07秒 / 北緯54.1825度 東経7.885278度 / 54.1825; 7.885278
ヘルゴラント島(ヘルゴラントとう、ドイツ語: Helgoland、英語: Heligoland、西フリジア語: Lun, Halilonj)は、ドイツ連邦共和国領の北海の小さな島である。
地理ドイツにおけるヘルゴラント島の位置(赤丸で囲われた部分)Lange Anna
ヘルゴラント島は、ドイツ北西部の海岸線から70km沖合いに位置し、実際には西側の人口が多い 1.0km2の主要な島 (Hauptinsel) と東側に位置するやや小さい 0.7km2の島 (Dune) によって構成される。2つの島は1720年までは砂州で陸続きだったが、暴風雨によって破壊されてしまい分断されている。島で一番高い地点は海抜61mである。2つの島はドイツ北部シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州ピンネベルク郡(英語版)の一部である。ヘルゴラント島の旗
島は赤色の岩盤の崖に覆われている。ヘルゴラントの三色旗は、上の緑色が島の自然(植物)、中央の赤色が赤い崖、下の白色が島の砂浜を示すとされている。
歴史
先史時代、既に人間が居住。火打ち石や銅皿などが島周辺の海底から発見。
697年、フランク王国のピピン2世に敗れたフリジア王国の王ラッドボッド(英語版)が逃れる。
1231年、デンマーク王のヴァルデマー2世の支配領域と認められる。
1402年、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国が領有。
1714年、大北方戦争によりデンマーク領有。
1720年、暴風雨により砂州が破壊され、1つの島が2つに分離される。
1652年当時のヘルゴラント島の地図(左)と1910年当時の地図(右)
1652年の地図では砂州によって一つの島になっていたのが1910年の地図では完全に2つに分かれている
1814年、ナポレオン戦争によりイギリス領有。
1890年8月10日、ヘルゴランド=ザンジバル条約により、ドイツ帝国領となる。