ヘリオスタット
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、太陽光導入装置について説明しています。通信用信号機については「ヘリオグラフ」を、測量器械については「回照器」をご覧ください。
シルベルマン(フランス語版)のヘリオスタット[1]

ヘリオスタット[2]: Heliostat)とは、1枚の平面太陽からのを地上にある特定の方向に反射する装置である。太陽の観測においては、1枚の反射鏡で反射した太陽光を、観測装置等のある特定の方向に導くときに使用されている。また、多数の平面鏡で反射した太陽光を特定の位置に集めるようにしたものが、太陽熱発電施設で使用されている[3]
歴史ス・グラーフェサンデ(英語版)のヘリオスタット[4]

ヘリオスタットにつながる発想の元は、17世紀には存在しており、ロバート・フックなどがそれを考えていたとされる[5][6]ジョヴァンニ・ボレリは、アカデミア・デル・チメントで行われた光速の測定実験に触発され、1枚の鏡で光を反射させる装置における配置を分析した。これが、ヘリオスタットの設計の基礎となる原理の最初の考察であるともされるが、ボレリはそれを出版していないため、その後のヘリオスタットに与えた影響はみられない[5]

実用的なヘリオスタットを最初に発明し、それを公にしたのは、ライデン大学教授のウィレム・ス・グラーフェサンデ(英語版)で、ベストセラーとなった著書『実験によって確かめられた自然学の基礎 (Physices elementa mathematica experimentis confirmata)』の1742年刊行の第3版にその記述がある[7][5][6][8]。ス・グラーフェサンデは、自身が講義で教授する光学の理論を実験によって明示するために、ヘリオスタットを作り上げた。ス・グラーフェサンデのヘリオスタットは、著書を介して図解や理論は多くの物理学者に伝わったが、実際に作られたものは多くはなかった。駆動部である時計仕掛けと、鏡部を別々に仕立てて、継手で連動させるというス・グラーフェサンデのヘリオスタットは、調整が容易ではなかったので、その後様々な改良が試みられた[5]

ジャック・シャルルは、時計仕掛けと鏡を一体化させて調整作業を合理化し、エティエンヌ・ルイ・マリュスが更にそれを改良した。パリの発明家アンリ・ガンベイ(フランス語版)は大幅な小型化を実現したが、最も成功したのは、フランスの物理学者ジャン・ティエボー・シルベルマン(フランス語版)が設計したヘリオスタットで、小型な上に単純で、高価でもないことから欧米に広く普及した。更に、装置としてのヘリオスタットを発展させたのが、フランスの物理学者レオン・フーコーで、堅牢で物理的に無理がなく、鏡も大きく、調整が容易なものを開発した。その後も、アイルランドの物理学者ジョージ・ジョンストン・ストーニーや、ドイツの技術者ルドルフ・フース(ドイツ語版)が、小型簡便なヘリオスタットの高性能化を行い、ある程度普及した[5]

ヘリオスタットは、19世紀に入る頃から多く作られるようになり、電灯の実用化によって、明るい人工的な光源が容易に利用できるようになる1880年代まで、安定した明るい光を必要とする実験や機械、教材に、よく利用されていた。電灯が普及した後も、ヘリオスタットがすぐに廃れたわけではなく、19世紀後半に建設された多くの実験室や教室で、窓の外にヘリオスタットが設置されていた[5]
歴史的なヘリオスタットの例

シルベルマンのヘリオスタット(フランス国立工芸院所蔵)[9]

ウィーンの機械工エクリンク(英語版)のヘリオスタット

フーコーのヘリオスタット[1]

フースのヘリオスタット(コインブラ大学科学博物館所蔵)[10]

名称

「ヘリオスタット」という言葉はギリシア語で太陽を意味する“?λιο?” (helios) と、静止や固定を意味する“στατ??” (statos) とに由来する[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef