ヘラルドグループ
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2022年10月)

ヘラルドグループ (Herald-Group) は、かつて存在した名古屋の資産家古川為三郎が創業した約30社からなる企業グループである。「古川グループ」とも呼ばれる。映画館、飲食店の経営、映画の配給などを中心にメディアや興業関係のサービスを提供していた。中核企業はヘラルドコーポレーション。
概要

古川為三郎が創業した古川グループ(ヘラルドグループ)は、 為三郎の長男(古川勝巳)一族のヘラルドグループ、為三郎の次男のフジオカ開発(藤岡カントリ?クラブ)、為三郎の三男一族の株式会社平安(ダイナランド)・株式会社エフワン(今池国際劇場)に分かれ、さらにヘラルドグループは、古川勝巳の次男(古川為之)のヘラルドグループ(名古屋)と三男(古川博三)の日本ヘラルド映画に分かれた。2003年、「グレイスヒルズカントリー倶楽部」のゴルフ場開発で抱えた負債により[1][2]、ヘラルド・コーポレーションは経営破綻し、ヘラルドグループは解体した。
主な歴史

1921年(大正10年) - 古川為三郎が名古屋市中区大須に映画館「太陽館」を開館。

1922年 - 中区大須に「帝国館」を開館

1923年 - 中区大須に「帝国座」を開館

1924年 - 太陽館近くに「肉なべ屋」を開店。

1925年 - 名古屋市北区に「富士劇場」を開館

1931年(昭和6年)- 千種区に「今池劇場」を開館。

1932年 - 「大勝館」を開館。

1933年 - 「肉なべ屋」を改装し中区大須に喫茶レストラン「資生堂パーラー大須店」を開店。

1936年 - 鶴舞公園前に「資生堂パーラー公園店」を開店。

1939年 - 中区大須に「資生堂パーラー赤門店」を開店。

1945年 - 戦災により名古屋市西区「弁天座」を残し、映画館7館と資生堂パーラー全店を焼失。

1946年 - 名古屋駅前に洋画専門館「メトロ劇場」を開館

1946年 - 千種区に「今池国際劇場」を開館。

1947年 - 喫茶「資生堂パーラー広小路店」を開館。

1948年 - 株式会社資生堂を設立し、会長に古川為三郎が就任。

1950年 - 名古屋市中区に「ミリオン座」を開館。

1951年 - 広小路土地興業株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。

1956年 - 有限会社欧米映画配給社を設立し、会長に古川為三郎、社長に古川勝巳が就任。

1956年 - 中村区に「マキノ劇場」を開館。

1957年 - 有限会社欧米映画配給社をヘラルド映画株式会社に商号及び組織変更。

1957年 - 「資生堂パーラーサンロード店」「資生堂パーラー栄地下街北店」「メトロレコードメイチカ店」を開店

1960年 - 中村区に「毎日ホール劇場・毎日地下劇場」を開館。

1960年 - 弘洋株式会社(現株式会社C-Forest)を設立し、社長に古川為三郎が就任。

1960年 - パチンコ店を開店。

1961年 - 株式会社ヘラルド映画興行を設立し、会長に古川為三郎が就任。

1961年 - ヘラルド映画株式会社と株式会社ニッポンシネマコーポレーションが合併し、日本ヘラルド映画株式会社が発足。

1964年 - 株式会社中日シネラマ会館を設立し、会長に古川為三郎が就任。総合レジャービル「中日シネラマ会館」(ヘラルドシネプラザ)が開館。

1967年 - 「資生堂パーラー栄地下街南店」「資生堂パーラーメトロ店」を開店

1969年 - ボウリング場運営会社として中日ボウリング株式会社を設立し、会長に古川為三郎が就任。

1969年 - 株式会社中日シネラマ会館が広小路土地興業株式会社を吸収合併。

1971年 - 古川グループ、「藤岡カントリークラブ」を開場。

1971年 - 株式会社資生堂が、ヘラルドフーヅ株式会社に社名変更。

1971年 - 株式会社ヘラルド映画興行が中日ボウリング株式会社を吸収合併し、ヘラルド興業株式会社となる。

1972年 - 古川グループ、「大日岳国際スキー場」を開場。

1972年 - 天白区に「ヘラルド文化センター」を開設。

1972年 - 天白区にアイスクリーム工場を設立。

1973年 - ヘラルド興業株式会社が株式会社中日シネラマ会館を吸収合併。古川土地建物株式会社を設立。

1973年 - レストラン「資生堂サロン」を開店。「資生堂パーラージャスコ八事店」を開店。

1975年 - 資生堂パーラーをベルヘラルドに改名。

1976年 - シネプラザに「シネマA」を開館。

1976年 - 「ベルヘラルド上前津店」「ベルヘラルド豊田店」「ベルヘラルド稲沢店」を開店。

1977年 - 「フレッシュベーカリー八事店」「フレッシュベーカリー広小路店」「ベルヘラルド藤ヶ丘店」を開店

1978年 - 「フレッシュベーカリー恵方店」「メトロレコード栄店」を開店。

1980年 - 「ヘラルドローラーリンク」を栄・天白・岡崎にオープン。

1982年 - 「ヘラルドテニスクラブ一宮」をオープン。「ベルヘラルド一宮インター店」を開店。

1983年 - 中村区に「ゴールド劇場・シルバー劇場」を開館。

1983年 - イタリア料理店を開店。

1984年 - 「ビデオステーション」栄北店・メイチカ店を開店。

1985年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社を設立。

1985年 - 「ベルヘラルド大須店」を開店。

1985年 - 豊田市猿投温泉に「ホテル金泉閣」をオープン。

1986年 - 日本ヘラルド映画・ヘラルド興業社長の古川勝巳死去に伴い、ヘラルド興業副社長の古川為之が、日本ヘラルド映画、ヘラルド興業などグループ各社の社長に、日本ヘラルド映画副社長の古川博三がヘラルド興業副社長など各社役員に就任。

1987年 - ヘラルドフーヅ株式会社、ヘラルド興業株式会社、三重劇場株式会社の3社が合併し、株式会社ヘラルドコーポレーションが発足。

1987年 - 名古屋市中区に天むすび専門店を開店。

1987年 - 財団法人古川会を設立し、理事長に古川為三郎が就任。

1988年 - 名古屋駅地下街にCD・ビデオ店「メトロミュージックステーション」を開店。

1988年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ50」を開館。

1989年 - 「グレイスヒルズカントリー倶楽部」の開発に着手。

1989年 - 名古屋パルコ内に「カフェベルヘラルド」、「ベルヘラルドパルコ売店」を開店。

1989年12月 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為三郎が名誉会長に、古川為之が会長に、古川博三が社長に就任。

1991年 - 財団法人古川会「古川美術館」を開館。

1993年 - 日本ヘラルド映画、会長の古川為之が取締役に、古川博三が会長に就任。

1993年 - ヘラルドグループ創業者・名誉会長の古川為三郎が死去。

1993年 - 「ベルヘラルドジャスコシティ八事店」を開店。

1994年 - 名古屋市中区に「ZXA」、「ZXAカラオケ館」をオープン。

1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「ヘラルドカラオケランド」をオープン。

1995年 - ヘラルドシネプラザ内に「シネプラザ4」を開館。

1996年 - 新設されたヘラルド・エステート株式会社(後の株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズ)が、(旧)日本ヘラルド映画株式会社より映画配給事業を譲り受け、(新)日本ヘラルド映画株式会社に社名変更。

1997年 - 「ベルヘラルド広小路伏見店」を開店。

1999年 - ヘラルドリゾート開発が「グレイスヒルズカントリー倶楽部」を開場。弘洋株式会社がヘラルド不動産株式会社を合併し、ヘラルド不動産株式会社に社名変更。

2000年 - 名古屋パルコ内に「センチュリーシネマ」を開館。

2001年 - 名古屋ケーブルネットワーク株式会社が、スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社に社名変更。

2001年 - 名古屋市中区栄地下に「ベルヘラルド シャポーブラン栄南店」を開店。

2002年 - スターキャット・ケーブルネットワーク株式会社がジャスダック上場。ヘラルド不動産株式会社がヘラルド・エステート株式会社(旧日本ヘラルド映画株式会社)を吸収合併。

2003年12月5日 - 約300億円の負債を抱え、株式会社ヘラルド・コーポレーションが民事再生手続開始[3]

主な企業

株式会社ヘラルドコーポレーション - 洋菓子・パンの製造販売、喫茶店(ベルヘラルド)・ベーカリー・イタリア料理店・和食店の経営、映画の興行、アミューズメント施設(ボウリング・ビリヤード・ゲーム・カラオケ)の経営。1999年1月期の年商は54億6000万円。センチュリーシネマとゴールド劇場・シルバー劇場は、スターキャット・エンタープライズが継承。飲食事業は株式会社Belle・Chapeauが継承。 

ヘラルドリゾート開発株式会社(ゴルフ場「グレイスヒルズカントリー倶楽部」開発・経営) - ゴルフ場事業を
リゾートトラスト株式会社傘下のリゾートトラストゴルフ事業株式会社に譲渡。

株式会社Belle・Chapeau(飲食店の経営、 菓子の製造及び販売等)- 2017年4月に株式会社プリムイソベンに株式売却をされる。

ヘラルド不動産株式会社(不動産の販売・賃貸・管理) - ヘラルドグループの不動産の管理と賃貸事業を行ってきた。グループ中核会社ヘラルド・コーポレーションの民事再生手続きの中で株式会社整理回収機構による指導のもと、営業譲渡及び免責的債務引受方式によって私的再生の道を選択する。株式会社Belle・Heraldの商号を経て現在は株式会社C-Forestとして存続。

株式会社中部日本倶楽部会館(不動産賃貸・管理) - 1948年に愛知県財界企業の中日新聞松坂屋日本碍子ノリタケカンパニー名古屋鉄道名古屋銀行等100社を超える企業・個人の株主となり、社交場の運営会社として設立された。近年は不動産賃貸会社として伏見ミリオン座等賃貸事業を行っていた。株式会社Belle HeraldがTOBにより子会社化し2015年に吸収合併される。(平成26年7月14日 官報第6331号参照)

古川土地建物株式会社(不動産賃貸・管理)- ヘラルドコーポレーションの民事再生により経営が悪化し特別清算[4]

株式会社ボスカンパニー(パチンコ店舗の経営)

岐阜ピカデリー株式会社(映画興行会社) - 岐阜日活として開業した岐阜ピカデリーの運営会社。

スターキャット・ケーブルネットワークケーブルテレビ局) - 株式公開前、古川土地建物・古川為之・ヘラルドコーポレーション・ボスカンパニー・ヘラルド・エステートが株式を保有していたが、2003年11月に中部電力系のシーテックに株式売却され、2016年現在はCNCI(コミュニティネットワークセンター)の傘下。映画館事業を引き継いだ。

猿投温泉開発株式会社(ホテル金泉閣) - 2003年豊田温泉開発株式会社として再建し、2020年以降は真城ホールディングスの傘下。

財団法人古川(古川美術館) - 公益財団法人古川知足会(理事長古川為之、理事古川為三郎の三男)として存続。


ヘラルド・エステート株式会社 - 旧・日本ヘラルド映画。日本ヘラルド映画の社員寮などの不動産を所有。2002年9月にヘラルド不動産と合併(解散時の代表は古川博三)。

日本ヘラルド映画株式会社(映画輸入・配給) - 古川博三をオーナーとして独立する。のちに株式会社角川ホールディングスの100%子会社となり、2005年8月に商号を株式会社角川ヘラルド・ピクチャーズへ変更する。2006年に角川映画株式会社を存続会社として合併して、角川ヘラルド映画となる。2007年に角川映画へ商号変更する。角川映画は2011年1月に角川書店に吸収合併され、角川書店も2013年10月にKADOKAWAに吸収合併される。

ヘラルド・エンタープライズ株式会社 - 初代法人は、日本ヘラルド映画株式会社出版局を継承し「ヘラルド出版」名義で出版事業やアニメ映画の製作・配給、VHS・レーザーディスクの発売を行っていた。二代目法人(後の角川シネプレックス株式会社)は、映画興行会社。

株式会社ヘラルド・エース - 邦画製作と非英語圏映画の輸入・配給。1995年に角川書店と提携して独立。1998年住友商事系の会社と合併し、現在のアスミック・エースに。2012年よりジュピターテレコム子会社。

株式会社ヘラルドミュージック - 2000年独立。その後株式会社エイチ・アンド・エム・インコーポレーテッドに社名変更。


経営した映画館
ヘラルドシネプラザ

ヘラルドシネプラザ
Herald Cineplaza


画像をアップロード
情報
通称シネプラザ1、2、3、4、50
正式名称ヘラルドシネプラザ
旧名称中日シネラマ劇場(プラザ1)
シネマA(プラザ3)
完成1964年
開館1964年12月25日
閉館2004年2月15日
収容人員(5スクリーン)1,302人
設備ドルビーデジタルDTS
用途映画上映
運営株式会社ヘラルドコーポレーション
所在地愛知県名古屋市中区栄3丁目35番34号
アクセス名古屋市営地下鉄名城線矢場町駅4番出口より徒歩10分
テンプレートを表示

「ヘラルドシネプラザ」(Herald Cineplaza) は1964年12月25日、「中日シネラマ劇場」として開業する。東京の「テアトル東京」、大阪の「OS劇場」と並ぶシネラマ劇場として数多くのヒット作や大作を上映する。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:32 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef