ヘボン塾
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ヘボン塾(ヘボンじゅく)は、アメリカの宣教師ジェームス・カーティス・ヘボンによって横浜居留地に開設された私塾明治学院及びフェリス女学院の源流。
沿革

1859年4月24日に「サンチョ・パンサ号」でニューヨークを出帆したヘボン夫妻は、喜望峰回りで香港上海長崎に寄港した後、1859年10月17日夜半に神奈川湊に到着した。夫妻は、アメリカ・オランダ改革派のS・R・ブラウンと同じ神奈川宿成仏寺に滞在し、1860年頃に妻クララが5人の少年を集めて私塾を開いた(米国長老教会の宣教師による日本での教育事業の開始)。

1862年米国領事館を通じて神奈川奉行所から依頼され、大村益次郎原田一道幕府の委託生9名を教えた。同年末、ヘボンは横浜居留地に完成した宣教師館(自ら設計)に住居を移転する。

1863年3月、一時帰国していた妻クララが戻り、同年秋に新しい生徒を募集して私塾を再開した。いわゆるヘボン塾である。クララが英語を教え、ヘボンは医学を教えた(主な生徒は、高橋是清、鈴木六三郎、林董佐藤百太郎沼間守一服部綾雄石本三十郎益田孝三宅秀ら)。

ヘボン塾は途中、夫妻の上海滞在(『和英語林集成』印刷のため)や一時帰国などにより中断されたが、1876年ジョン・クレイグ・バラに引き継がれるまで続けられた。

このヘボン塾がミッションスクールとして有名な明治学院やフェリス女学院の源流となった。明治学院は開学年を、ヘボン塾開校の年(1863年)に定めている。
参考文献

『長老・改革教会来日宣教師事典』
新教出版社

外部リンク

発展系統図 ? 学校法人明治学院










明治時代ミッションスクール(幕末-明治)
日本のキリスト教史 / 宗教系旧制専門学校
改革・長老派

米国長老教会

ヘボン塾 (1862-1876) ・バラ塾 (1869-1873) ・A六番女学校 (1873-1876)・カロザースの築地大学校(1874-1876)・原女学校 (1874-1878) ・B六番女学校 (1874-1878) ・築地六番神学校 (1875-1878) ・桜井女学校 (1876-1890) ・バラの築地大学校 (1880-1883) ・女子学院 (1890-) ・金城学院 (1889-)
アメリカ・オランダ改革派教会

ブラウン塾 (1873-1877) ・タムソン塾 (1873-1877) ・東京一致神学校 (1877-1887) ・先志学校 (1878-1880) ・フェリス・セミナリー (1870-) ・東京一致英和学校 (1883-1887) ・共愛学園 (1886-) ・東山学院 (1887-1932) ・梅香崎女学校 (1887-)
スコットランド一致長老教会

三浦女学校 (1875-1879) ・ワデル塾 (1876-1877)
日本基督一致教会

東京一致神学校 (1877-1887) ・明治学院 (1887-)
カンバーランド長老教会

ウヰルミナ女学校 (1884-)
その他

明治女学校 (1885-1909)・北陸学院 (1885-) ・仙台神学校 (1886-) ・宮城女学校 (1886-) ・北星学園 (1887-) ・山形英学校 (1887-1891) ・女子独立学校 (1889-?)

メソジスト派

米国メソジスト監督教会


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