この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "ヘッセン州"
州旗州の紋章
州歌Hessenlied(ドイツ語)
ヘッセンの歌(英語版)
州都ヴィースバーデン
面積21,114.88 km² (第7位)
人口
- 総計
- 人口密度(2005/12/31)
6,092,354 人 (第5位)
288.5 人/km²
ISO 3166-2:DE.mw-parser-output .monospaced{font-family:monospace,monospace} DE-HE
公式サイトヘッセン州政府
政 治
州首相ボリス・ライン (CDU)
与党CDU, Grune
前回選挙2018年10月28日
次回選挙2023年
連邦参議院(上院)
での投票権数5
地 方
市町村数
* 独立市426
5
ヘッセン州(ヘッセンしゅう、Land Hessen[注釈 1])は、ドイツに16ある連邦州のひとつ。州都は、州南西部に位置するヴィースバーデン。経済の中心都市は州南部に位置するフランクフルトである。グリム兄弟の生地ハーナウを起点として北へ、グリム童話ゆかりの地を結ぶドイツ・メルヘン街道や、木組み建築の町、アルスフェルトなどの観光地がある。また化学にゆかりのある地であり、108番元素ハッシウムは州名ヘッセンから、110番元素ダームスタチウムは州内の都市ダルムシュタットからとられている。 ヘッセン州はドイツ中央西部に位置し、北はニーダーザクセン州、北西はノルトライン=ヴェストファーレン州、南西はラインラント=プファルツ州、南はバーデン=ヴュルテンベルク州、南東はバイエルン州、東はテューリンゲン州と隣接している。 ライン川が南西のラインラント=プファルツ州との境界をなし、州南部をライン川の支流のマイン川が横断する。この2つの川の流域に挟まれた地域は、南のバーデン=ヴュルテンベルク州へと続く緩やかなオーデンヴァルト山地を除き、平野となっており、ここに州の人口が集中している。この地域の主な都市は、フランクフルト・アム・マイン(フランクフルト)、オッフェンバッハ・アム・マイン(オッフェンバッハ)、ヴィースバーデン、ダルムシュタットなどがある。また、州北西部にはイギリス女王エリザベス2世の王配エディンバラ公フィリップのマウントバッテン家(バッテンベルク家)ゆかりの地バッテンベルクがある。 州北部・中部は、ゆるやかな山地と丘陵が広がり、フルダ川などの河川の流れに沿って狭い盆地が点在する。州北部のカッセル、フルダ、州中部のギーセンといった都市は、このような盆地に形成されている。 今日、ヘッセン州となっている地域の大部分は、中世のはじめはフランク王国・東フランク王国の下で、フランケン大公の統治する領域の一部であった。その後、神聖ローマ帝国の時代の1222年にテューリンゲン方伯領の一部となった。1247年にテューリンゲン方伯ハインリヒ・ラスペが嗣子なく死去すると、後継をめぐり甥のマイセン辺境伯ハインリヒ3世と姪のゾフィー・フォン・ブラバントとの間で戦争となるが、1264年、方伯領西部のヘッセン地方を分離し、ゾフィーの息子ハインリヒがヘッセン方伯に、ハインリヒ3世がテューリンゲン方伯を継ぐことで決着した。 フィリップの死後、領土は遺言に従い4人の息子に分割相続され、ヘッセン=カッセル、ヘッセン=マールブルク、ヘッセン=ラインフェルス、ヘッセン=ダルムシュタットの4つに分かれた。ラインフェルスは1583年に断絶しカッセルに併合され、マールブルクは1604年に断絶し、この領土をめぐりカッセルとダルムシュタットの間で論争と武力衝突がおき、1627年に分割によって一応の解決を見た。しかし、三十年戦争の終盤において再びこの領土をめぐり、皇帝側についたダルムシュタットと、スウェーデン及びフランス側についたカッセルとの間で戦争となった。
地理
歴史