公用語ドイツ語
首都ダルムシュタット
州首相
1918年11月11日 - 1928年カール・ウルリヒ
面積
1919年7,692km²
人口
1919年1,347,279人
変遷
ドイツ革命による君主制廃止1918年11月9日
暫定憲法制定1918年2月20日
憲法制定1919年12月12日
自治権停止1934年1月30日
ヘッセン州に改組1946年12月1日
現在 ドイツ
ヘッセン人民州(ドイツ語: Volksstaat Hessen)は、かつて存在したドイツ国の州であり、ドイツ革命により1918年11月9日にヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒが退位したことを受けてヘッセン大公国の版図を引き継いで成立した。ヘッセン人民州はオーバーヘッセン、ラインヘッセン、シュタルケンブルクの3地域と、いくつかの小さな飛び地からなっていた。 人民州 (Volksstaat) という名前は「民主主義の州」を意味し、ヴァイマル共和政における他の州 (自由州、共和国) と同じものである。 第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によって連合軍がラインラントを占領すると、ライン川左岸のラインヘッセン県に加え、1930年6月30日まではシュタルケンブルク県までフランス軍に占領され、被占領地域の面積は実に州の40%にもなった。第二次世界大戦後もヘッセン人民州は連合軍の占領下に置かれ、ライン川左岸 (ラインヘッセンとほぼ一致) はフランス軍、残りの地域はアメリカ軍が駐留した。 1945年9月19日、アメリカ占領軍はラインヘッセン県のライン川右岸および旧プロイセン自由州ヘッセン=ナッサウ県の大部分を一体として大ヘッセンとした。一方、フランス占領下にあったラインヘッセン県のライン川左岸は、ヘッセン=ナッサウ県のフランス占領地域とともにラインラント=プファルツ州に含まれた。 大ヘッセンは米英仏占領地域で発効した新憲法により1946年12月1日にヘッセン州に改名され、1949年にドイツ連邦共和国が建国されるとその1州となった。
概要