ヘザルフェン・アフメト・チェレビ(Hezarfen Ahmet Celebi 、1609年 - 1640年)はオスマン帝国時代の発明家。17世紀、イスタンブールで、人工の翼を使って飛行に成功したと伝えられる。
17世紀の旅行家エヴリヤ・チェレビ(Evliya Celebi
飛行
彼と同様の飛行を試みたことが知られている人物には、アッバース・イブン・フィルナス(9世紀スペインのムーア人国家出身の学者、飛行家)やマルムズベリーのエイルマー(11世紀イングランドの修道士)などがいる。ただしこの二人は着陸時に負傷を免れなかった。
ヘザルフェンの兄弟、ラガリ・ハサン・チェレビもまた飛行を(火薬ロケットを使って)行なったと言われる。彼らの飛行成功の情報はすぐに(遅くとも1638年には)イングランドに伝わった。ジョン・ウィルキンズが1638年の著書Discovery of a World in Mooneでそれについて言及をしている。[2] ヘザルフェン・アフメト・チェレビの偉業に関する、エヴリヤ・チェレビの報告は(10巻の著作中で)たったの3センテンスに過ぎない。しかしこの話はトルコにおいて広く普及している。イスタンブールにある三つの空港のうち一つは、「ヘザルフェン空港」を意味する名前である。そして映画"?stanbul Kanatlar?m?n Alt?nda"(Istanbul Under My Wings, 1996)は、エヴリヤ・チェレビを語り手に、ヘザルフェン・アフメト・チェレビおよび兄弟ラガリ・ハサン・チェレビの人生と、17世紀初期のオスマン帝国社会を描いた作品である。
大衆文化において
関連項目
航空に関する年表
中世・近世の飛行者たち
ラガリ・ハサン・チェレビ - 彼の兄弟(原始的なロケットで飛行)
浮田幸吉 - 18世紀、日本で同様の実験
飛び安里 - 18世紀、琉球王国
カルル・フリードリヒ・メールヴァイン - 18世紀、バーデン公国
メルヒオール・バウアー - 18世紀、ドイツ
アルブレヒト・ベルプリンガー - 19世紀初頭、ドイツ
出典^ Evliya Celebi. Seyahatname.
^ Arslan Terzioglu (2007). "The First Attempts of Flight, Automatic Machines, Submarines and Rocket Technology in Turkish History", The Turks (ed. H. C. Guzel), p. 804-810.
更新日時:2016年10月20日(木)15:51
取得日時:2018/06/26 12:43