ヘイ・ジョー
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「ヘイ・ジョー
Hey Joe, Where You Gonna Go?」
ザ・リーヴズ
(The Leaves) の シングル
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"Be With You"

(1st 盤)

"Girl From The East"

(2nd 盤)

"Funny Little World"

(3rd 盤)

リリース1965年11月 (1965-11)
1966年4月 (1966-04)
規格7インチシングル
ジャンル

ハードロック[1]

ガレージロック

サイケデリック・ロック

時間2:40
レーベルMira 207 (1965)
Mira 222 (1966)
作詞・作曲ビリー・ロバーツ
プロデュースNorm Ratner
ザ・リーヴズ(The Leaves) シングル 年表

「Love Minus Zero」
(1965)「Hey Joe」
(1965)「You Better Move On」
(1965)


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「ヘイ・ジョー」(Hey Joe)は、1960年代以降にロックの定番曲となり、数百人の様々なアーティストにより多くの音楽スタイルで演奏されている米国のポピュラーソングである[2][3]

「ヘイ・ジョー」は、不貞行為に及んでいた妻を銃で撃った後にメキシコへ向かおうと計画している、逃走中の男の話を歌ったものである[4]。この楽曲はビリー・ロバーツによって1962年にアメリカ合衆国の著作権に登録された[5]。しかし、様々なクレジットや主張がこの曲の作者に関する混乱をもたらしている[4]。同楽曲に関する最初期とされる既知の商業録音は、ロサンゼルスのガレージロックバンド、ザ・リーヴズ (The Leaves) による1965年後半のシングルである。その後このバンドは楽曲を再録音して1966年に再度シングルとしてリリース、これがヒット曲になった[6]

ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスによる1966年の録音盤が最も有名なバージョンである[7]。曲のタイトルはたまに「Hey Joe、Where You Gonna Go?(ヘイ・ジョー、お前はどこへ行くつもりだ?)」や、これに似たバリエーション表記をされることがある。
作者

歌手のティム・ローズ(英語版)によって伝統音楽であるとの主張がされたり[8]、誤ってしばしば米国の音楽家ディノ・ヴァレンティ(彼はチェスターやチェット・パワーズ、ジェシー・ファローの異名を持つ)の書いたものともされる「ヘイ・ジョー」は、カリフォルニアに拠点を置くフォーク音楽家のビリー・ロバーツによって1962年に米国の著作権に登録された[5][9]。スコットランドのフォーク歌手レン・パートリッジは、1956年にロバーツがエディンバラのクラブで演奏した際に、自分がこの曲を書く手伝いをしたと主張している[5]

ロバーツは以前あった以下の3作品から「ヘイ・ジョー」の着想を閃いた可能性がある。彼の恋人ニエラ・ミラーの1955年の歌「Baby, Please Don’t Go To Town」[10]五度圏に基づく同様のコード進行を使っている)[9]、カール・スミスによる1953年の米国カントリーのヒット曲「 Hey Joe!」(ブーデロウ・ブライアントによる作詞、これとはタイトルと「質疑応答」様式が共通である)[11]、そして20世紀初頭の伝統的なバラード「Little Sadie」(これは自分の妻を撃った後に逃走している男について語ったもの)[12]である。「Little Sadie」の歌詞にはトマスビル (ノースカロライナ州)や「落ち延びた」ジェリコ(サウスカロライナ州の低地にある大規模なコメ農場)での出来事が出てくることが多く[13][14]、ロバーツはサウスカロライナ州で生まれた。

「"Little Sadie"」のバリエーションは、クラランス・アシュリー(1930)[15]ジョニー・キャッシュ(1960・1968)、スリム・ダスティ(1961)[16]ボブ・ディラン(1970)を含む多くのアーティストによって、さまざまなタイトル( "Bad Lee Brown"、 "Penitentiary Blues"、 "Cocaine Blues"、 "Whiskey Blues"など)で録音されている。一部のバージョンはジェリコ(サウスカロライナ州)からメキシコへ南行きの位置を変更している。

ティム・ローズらによる、「Hey Joe」が全くの伝統音楽作品であるという主張を裏付ける証拠は提示されたことがない[8]

楽曲の権利は1966年から2000年代まで音楽出版社のThird Story Music(現在はThird Palm Music)によって管理されていた。そこでは作者がビリー・ロバーツとしてリスト掲載されている[17]。他の情報筋(歌手パット・クレイグを含む)は、ヴァレンティが収監されている間のこととして、釈放時に彼に幾らか収入を与えるためロバーツが友人のヴァレンティに当楽曲の権利を分け与えたと主張している[18]
初期の収録

「Hey Joe (Where You Gonna Go)」
バーズシングル
初出アルバム『霧の五次元』
リリース1966年7月18日 (1966-07-18)
規格LP盤
録音1966年5月16-19日
ジャンルガレージロック[6]
時間2:08
レーベルコロムビア・レコード (no. CS 9349)
プロデュースAllen Stanton

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ロバーツの楽曲は1965年代半ばのロサンゼルスの音楽業界でファンを獲得し、1965年と1966年にザ・リーヴズ、ザ・スタンデルズ、ザ・サーファリーズ、ラヴ (バンド)、ザ・ミュージック・マシーン、そしてバーズによる速いペースでの録音がなされ、この曲はあっという間にガレージロックの定番曲になった[6]。1965年12月にザ・リーヴズによって収録される前は、ディノ・ヴァレンティとバーズのデヴィッド・クロスビーの両名がこの歌を普及させる手助けをしたと伝えられている[19]

サンセット大通り(en)にあるCiro'sというナイトクラブのライブコンサートに参加した際にこの曲をバーズ(まだ彼らはこの楽曲の自身のバージョンを録音していなかった)から紹介されたザ・リーヴズは[19]、3つのバージョンの「ヘイ・ジョー」を録音して1965年と1966年にリリースした[4]。彼らの最初のバージョンは1965年11月-12月にリリースされたが、売り上げは乏しかった[6]。同バンド3回目の録音盤は1966年5月-6月にかけてヒットし、Billboard Hot 100チャートで31位[6]、カナダのRPM (カナダの音楽雑誌)チャートで29位となった。リーヴズ盤はビルボードチャートのトップ40に到達したこの楽曲唯一のレコーディングとして特筆に値する[4]

当楽曲のザ・サーファリーズの録音盤、彼らのシングル「So Get Out」のB面でリリースされたものが、ロック曲としての初レコーディングだと記載されることがある[20]。しかし多くの信頼できる情報源は、実際にはサーファリーズ盤は1966年からで、ザ・リーヴズの1965年オリジナル盤の後に生まれたものだと反論している[21][22]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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