ヘイズ・コード(英語: Hays Code、the Breen Code、Production Code)は、かつてアメリカ合衆国の映画界で導入されていた自主規制条項である[1]。アメリカ映画製作配給業者協会によって1934年から実施され、名目上は1968年まで存続した[1]。映画史上、この条項が実施される以前のハリウッド映画
(英語版)をプレコード(pre-code)時代の映画と呼ぶことがある[2]。しばしば誤解されるような検閲制度ではなく、一部の映画を不道徳だとして非難する団体などに対抗してハリウッド作品の上映を保証するため、業界側が自主的に導入したガイドラインである[2]。後述するように、条項ではさまざまな描写が「禁止」とされたが、そうした描写を含む作品が条項の導入で全く作られなくなったわけではない[2]。 この制度は、いくつかの禁止事項と注意事項によって構成されている[3]。以下の項目は、いかなる方法においてもアメリカ映画製作配給業者協会の会員が映画を制作する際に用いてはいけない要素である。 また、いかなる方法においても、以下の要素を用いるときは、下品で挑発的な要素を減らし、その作品の良いところを伸ばすためにも、細心の注意を払うようにすること 1929年、大手業界紙 en:Motion Picture Herald
内容
冒涜的な言葉(hell, damn, Gawd,など)をいかなるつづりであっても題名・もしくはセリフに使うこと[注 1]
好色もしくは挑発的なヌード(シルエットのみも含む)または作品内のほかの登場人物による好色なアピール
薬物の違法取引
性的倒錯
白人奴隷を扱った取引
異人種間混交(特に白人と黒人が性的関係を結ぶこと)
性衛生学および性病ネタ
出産シーン(シルエットのみの場合も含む)
子どもの性器露出シーン
聖職者を笑いものにすること
人種・国家・宗教に対する悪意を持った攻撃
旗
国際関係(他国の宗教・歴史・習慣・著名人・一般人を悪く描かぬように気を付けること)
放火行為
火器の使用
窃盗、強盗、金庫破り、鉱山・列車および建造物の爆破など(あまりにも描写が細かいと、障がい者に影響を与えるおそれがあるため)
残酷なシーンなど、観客に恐怖を与える場面
殺人の手口の描写(方法問わず)
密輸の手口の描写
警察による拷問
絞首刑・電気椅子による処刑シーン
犯罪者への同情
公人・公共物に対する姿勢
教唆
動物及び児童虐待
動物や人間に対して焼き鏝を押し付ける
女性を商品として扱うこと
強姦(未遂も含む)
初夜
男女が同じベッドに入ること
少女による意図的な誘惑
結婚の習慣
手術シーン
薬物の使用
法の執行もしくはそれに携わる者を扱うこと(タイトルのみも含む)
過激もしくは好色なキス(特に一方が犯罪者である場合は要注意)
歴史
ヘイズ・コード成立の経緯
その規定は2つの章に分かれている。前半は道徳に重きを置いた大原則集で、後半はとくに遵守すべき項目集であり、後者には映画内では用いることができない要素が列挙されている。 同性愛の表現や特定の卑語の使用を禁じるなどといった一部の規制については、暗黙の了解とみなされていたため明文化されなかった。 異人種間の混交も禁じられた。また、成人向け映画の概念は、既定の志向が難しく、成人向けというカテゴライズの効能が弱まるとして、うやむやになった[12]。ただし、「年少者にとっては明らかに有害である一方、分別のあるものはその有害性を理解できるため受容しても害のない」要素は、映画に使うことが認められた[13]。もし保護者の監督のもとで子どもが映画を見る際、本編中にそのような要素を暗にほのめかす描写があった場合、保護者は子供が映画の影響を受けて犯罪に走ることを考慮してよいと定められた[13]。
この規定は、映画の内容に関する者だけでなく、伝統的な価値観を推進するものも含まれていた[14]。たとえば、夫婦関係から外れた性的な関係は魅力的もしくは美的なものとして描くことはできず、したがってその関係を情熱を呼び起こすようなものもしくは許されるものとして話を進めることは許されないと定められている[9]。また、全ての犯罪行為は罰せられるべきものであるとされ、犯罪者及びその罪状に対して観客の共感を引き出すような描写は許されず、観客が補正された道徳的価値観と照らし合わせて「そのような行為は悪である」と判断できるような描写にしなくてはならないと定められた[15][16]。権威あるものは敬意をもって描写せねばならず、聖職者を悪党もしくは道化役として描くことは許されなかった[9]。ただし、例外として、ある状況のもとで政治家・警察官・判事を悪党として描くことは許された [9]。
カトリックの文体で書かれたこの規定は、「映画は道徳に悪影響を与える一方で、道徳において大きな意味を持つ存在であるから、慎重に扱うようにすべき」としている[12]。当初はこの規定の機密においてカトリックの影響力を保つことになっていた[17]。そのため、「映画を通じて悪行は悪いもので、善行は正しいことであると観客が確信する」という主題がこの規定の中で頻出した [18]。この規定には、広告のキャッチコピーや画像を対象としたアドヴァタイジング・コードという付録も存在した[19]。
ヘイズ・コード初期詳細は「en:Pre-Code Hollywood」を参照セシル・B・デミルの『暴君ネロ』の1シーン
1930年2月19日、バラエティ誌が、ヘイズ・コードの条文をすべて載せ、映画の検閲機関はすぐに廃止されるだろうと予測した[20] 。なぜなら、1932年まで協会の代表を務めていたジェイソン・ジョイとその後任になったジェームズ・ウィンゲート博士 (Dr. James Wingate) はまったくもって機能していなかったのである[10][21] 。例えば協会の検閲を受けた最初の映画である『嘆きの天使』は協会の検閲では無修正で通った一方、カリフォルニア州ではわいせつとみなされた[22]。ジョイが一部シーンのカットを求めたこともあったが、あからさまな場面が残っている状態で公開された[23] 。ジョイは1年間に500の映画を少ないスタッフでチェックしなければならず、組織の影響力も乏しかった[21]。彼はスタジオと制作したいと考えており、脚本を書くのが得意だった彼はフォックスに移籍した。一方ウィンゲートは山のように来る映画の企画書を読んでチェックするのに苦労し、ワーナー・ブラザースの制作部門の代表者であるダリル・F・ザナック が催促の手紙をよこすほどだった[24] 。1930年当時の協会は影響力はなかったが、製作者を説得したり懇願したりすることはあった[25] 。事態は複雑化しつつあったが、シーンのカットの有無は最終的にスタジオ自身が決めることとなった[10]。
ヘイズ・コードが蔑ろにされていた理由の一つに、1920年代から30年代初頭にかけて、自由を好む風潮が検閲をお堅いものと看做していたことがあげられる。当時は ヴィクトリア朝のものが世間知らずで時代遅れのものとして笑いの種にされていた時期でもある[9]。