ヘイキ・コバライネン
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ヘイキ・コバライネン
コバライネン (2019年)
基本情報
フルネームHeikki Johannes Kovalainen
略称表記KOV
国籍 フィンランド
出身地同・スオムッサルミ
生年月日 (1981-10-19) 1981年10月19日(42歳)
F1での経歴
活動時期2007-2013
過去の所属チーム'07 ルノー
'08-'09 マクラーレン
'10-'11 ロータス
'12 ケータハム
'13 ロータス
出走回数111
タイトル0
優勝回数1
表彰台(3位以内)回数4
通算獲得ポイント105
ポールポジション1
ファステストラップ2
初戦2007年オーストラリアGP
初勝利2008年ハンガリーGP
最終勝利2008年ハンガリーGP
最終戦2013年ブラジルGP
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ヘイキ・ヨハンネス・コバライネンまたはヘイッキ・ヨハンネス・コバライネン(Heikki Johannes Kovalainen 、1981年10月19日 - )は、フィンランドスオムッサルミ出身のレーシングドライバー、ラリードライバーである。
初期の経歴
カート

1991年にレーシングカートのキャリアを始め、2000年まで続け、フィンランドのトップカテゴリーにおいて、1999年から2000年にかけ2年連続でランキング2位を記録した。2000年には、北欧選手権(ノルディック・チャンピオンシップ)、エルフマスターズを制覇し、その年のフィンランド国内のドライバーズ・オブ・ザ・イヤーに選出された。同年、ツインリンクもてぎ北ショートコースで行われたCIK-FIA WORLD CUP SHELL ADVANCE KART RACE、FSAクラスにおいて4位入賞。(2位はヴィタントニオ・リウッツィ。また、FAクラスでは、ルイス・ハミルトンが優勝、ニコ・ロズベルグが9位だった。)
フォーミュラ・ルノー

2001年はイギリス・フォーミュラ・ルノー(UKシリーズ)に参戦し、初年度から2勝、ポールポジション2回、ファステストラップ3回という結果で、ランキング4位となり、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
フォーミュラ3

2002年はイギリスF3選手権に参戦し、5勝、3PP、3FLという結果を残し、ランキング3位で終え、フォーミュラ・ルノー同様、このカテゴリでもルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。国際レースにおいても、マールボロマスターズで4位、マカオグランプリでは2位という好戦績を残した。

この1年のみでF3を終え、翌年はワールドシリーズ・バイ・ニッサンにステップアップした。
ワールドシリーズ・バイ・ニッサン

2003年からワールドシリーズ・バイ・ニッサンに参戦。この年はフランク・モンタニーが序盤から独走して選手権を支配した年であるが、コバライネンはシーズン通算1勝にとどまったが堅調に得点を重ね、バス・ラインダースナレイン・カーティケヤンとの接戦を制して、初年度ながらランキング2位でシーズンを終えた。

2004年はシーズン序盤こそティアゴ・モンテイロにリードを許したものの、中盤に優勝を重ね、全18戦のシーズンで6勝を挙げてチャンピオンに輝いた。この年にはルノーチームのテストに参加し、初めてF1を駆った。
レース・オブ・チャンピオンズ2007年ROC
コバライネン対シューマッハ

2004年末、フォーミュラレースやラリーなどの各選手権のチャンピオンらを集め毎年年末に開催されているレース・オブ・チャンピオンズに参加した。2004年シーズンを圧倒的な強さで制したF1世界チャンピオンミハエル・シューマッハも出場したことから注目を浴びたが、コバライネンはトーナメント初戦でデビッド・クルサード、第2回戦でジャン・アレジ、準決勝でシューマッハ、決勝では同年の世界ラリー選手権(WRC)チャンピオンのセバスチャン・ローブ、と、名だたるドライバーをことごとく撃破してチャンピオンに輝き、「シューマッハを破った男」として一躍注目を浴びた。
GP2

2005年、前年まで開催されていた国際F3000から改組されて初開催されたGP2に、アーデン・インターナショナルから参戦した。開幕レースで優勝を収めたのをはじめ、シーズン中盤までは選手権をリードすることに成功した。しかし、シーズン後半ニコ・ロズベルグに追い上げられ、スパ・フランコルシャンバーレーンインターナショナルサーキットの最終2ラウンド(4レース)を残して4ポイント差まで迫られた。ロズベルグが最終ラウンドを2レースとも制すという奮闘を見せたのに対し、この間にわずかなポイントをあげるにとどまったため逆転を許し、最終的にランキング2位に終わった。

この年はGP2に参戦するかたわら、テストドライバーとしてルノーのテストに参加した。
F1での経歴
2006年・2007年2006年2月、ルノーR26をテストするコバライネン

2006年ルノーに所属し、テストドライバーとして28,000kmを走りこみ、翌年に同チームからF1に参戦することが発表された[1]2007年オーストラリアGP

2007年、前年度のチャンピオンチーム、ルノーからF1デビュー。しかし、2007年のルノーには優勝を争うような速さはなく、苦戦を強いられる。開幕戦オーストラリアグランプリでは何度もコースアウトを喫し、その後の数戦もミスが目立った。第6戦カナダグランプリでは予選Q1でクラッシュして19位。車体後部から壁に激突したためにエンジン交換を余儀なくされ、それによるグリッド降格処分により最後尾に沈んだ。しかし決勝レースでは、セーフティカーが4度も入る大荒れの展開の中、混乱に乗じてポジションを上げて4位入賞を果たした。これ以後はコンスタントに入賞を続け、チームメイトのジャンカルロ・フィジケラを得点で上回る活躍を見せた。

第15戦日本グランプリでは、同郷の先輩であるキミ・ライコネンの追撃を最後まで抑えきり、初の表彰台を獲得(2位)した[2]。続く第16戦中国グランプリでは、デビューから16戦連続完走を果たし、ティアゴ・モンテイロの記録に並んだものの、最終戦ブラジルグランプリで初のリタイアを経験し、記録更新には至らなかった。
2008年MP4-23をテスト走行するコバライネン(2008年)

2008年フェルナンド・アロンソと入れ替わる形でマクラーレンへ移籍した。開幕戦オーストラリアグランプリでは序盤から2位を走行するも、3度のセーフティカーが導入される荒れた展開の中、ピットストップのタイミングにより後退し、5位に終わった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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