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プー&ムー
メンバーおたこぷー
おさむ
結成年1992年
事務所吉本興業
活動時期1992年 -
出身福岡吉本
出会い高校時代
旧コンビ名ワンダラーズ
現在の活動状況テレビ・ライブなど
芸種漫才
現在の代表番組なし
同期ココリコ
藤井隆
水玉れっぷう隊
オアシズなど
公式サイト公式プロフィール
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プー&ムー(ぷーあんどむー)は、吉本興業東京本社(東京吉本)に所属する日本の漫才コンビである。二人とも熊本県天草市(当時本渡市)出身で天草弁で漫才をする。体を張った芸で人気を集めている。デビュー以来吉本興業福岡事務所(福岡吉本)に所属し、九州を中心に活動していたが、2009年4月、東京吉本に移籍、コンビで東京進出を果たした。 二人は高校の同級生同士で、1992年に漫才コンビを結成し福岡へ渡り「ワンダラーズ」(現在活動中の同名コンビは別人)としてデビュー。当時は「おタコプー」、「井上 修」で活動していた。 1997年、「とことんサンデー」にておタコ体操でブレイク。おタコはレギュラー4本あったものの、コンビとしての仕事はゼロだった。 1998年、おタコ失踪、1週間後に福岡に戻る。 1999年、おタコ、ラジオレギュラーを獲得。 2002年、おタコ600万の借金を返済。その後、おタコ一人の条件の東京吉本より引き抜きの話が出たが「一人ではいかん。修も一緒ではなかと」と東京進出を断った。当時、おタコしか仕事がなく、会社からも「相方の足を引っ張るな」と言われてきた修は引退を相談していたが、おタコは「コンビやかなといかん」と、ピンのレギュラー番組を辞めてコンビとしての活動を優先にした。同年、コンビ名を「プー&ムー」に改名。M-1グランプリに出場し、3回戦まで進出[2]。2003年には準決勝まで進出し、敗者復活戦に出場[3]。 2009年、東京へ進出。 2019年現在、おたこぷーは後輩の木下貴信(パタパタママ)が所長を務める清掃会社でバイト中。 2022年、YouTubeチャンネル開設。
メンバー
おたこぷー…(本名・松田 成史〔まつだ しげふみ〕、1972年1月17日 - )旧名:おタコ・プー、おタコプー。ボケ担当。
体を張ることが多く、ハスキーボイスで独特の喋りを展開する。また、奇抜な動きから繰り出されるポーズや、意味不明のフレーズで笑いをとるのが得意である。得意なギャグは「お久しブリッジ」、「北の政所」。自身が歌って踊る「おタコ体操」で一世を風靡した。似たような芸風、性格の江頭2:50とギャグ対決をしたことがあり、最終的には二人とも全裸になって暴走し、スタッフや視聴者を呆れさせた。一時期CROSS FMでナビゲーターとしても活動しており、同じく人気ナビゲーターであった北野順一にライバル意識を燃やしていたが、その後同じ番組で競演することになる。当時月収10万円に対し借金が600万円以上あり、失踪、自殺未遂をした事がある(その事の一部始終が『スーパーテレビ情報最前線』(日本テレビ)で紹介された)。公開録音形式に近いラジオ放送の際に借金取りがその現場に来ており「松田金返せ」という幕を番組中ずっと掲げていた。そのせいか、当時のレギュラー番組をそのままおいて7日間失踪した。最初の2日間は自宅にいたが、その後自転車で日本横断を目論むも断念。コンビニで自転車を10円玉2枚と交換し、友達に連絡しそこで1泊。その後ほかの場所を転々とし、失踪から1週間後に福岡に戻った。
おさむ…(本名・井上 修〔いのうえ おさむ〕、1971年5月29日 - )旧名:シャバ僧、しゃば蔵。ツッコミ担当。
イベント等ではMCを担当することが多い。特技はテニス(中学時代 県大会優勝)、マラソン(番組企画、鉄人井上のコーナーで87kmを完走。シティマラソン福岡では、リポーターとしてハーフマラソンを完走)。手を使っての形態模写を極める〔手芸(てげい)倶楽部〕をパンクブーブー・黒瀬、松下笑一と結成[1]。既婚、2児の父。
来歴