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855年の西ヨーロッパ。プロヴァンス王国は中央のオレンジ色。
首都不明
王
855年 - 863年シャルル(カール、初代)
変遷
プリュム条約855年
イタリア王国領に863年
メルセン条約870年
キスユラブルグント王国成立879年
プロヴァンス王位廃止933年
プロヴァンス王国(プロヴァンスおうこく)は、旧ブルグント王国のあった地域のユラ山脈以南に存在した王国。855年の皇帝ロタール1世の死後、遺領の中フランク王国を息子たちロドヴィコ2世、ロタール2世、シャルルが3分したうちのシャルルが受け継いだ領土である。 863年に国王シャルルが死去すると、プロヴァンス王国は長兄の神聖ローマ皇帝(及びイタリア王)ルートヴィヒ2世が得た。870年に次兄のロタリンギア王ロタール2世も死去したが、ロドヴィコ2世はイスラムとの戦いにかかりっきりであった。この隙に叔父の東フランク王ルートヴィヒ2世と西フランク王シャルル2世が結託してロタリンギアばかりかプロヴァンスの一部をも奪い取り、メルセン条約によってプロヴァンス王位は西フランク王シャルル2世のものとなった。ただし、この時点ではまだプロヴァンス王国旧領の東半分はイタリアの皇帝ルートヴィヒ2世の領土であった。 875年に皇帝ロドヴィコ2世も継嗣無く没した。シャルル2世はすかさずイタリア王国を征服して皇帝となり、その際にプロヴァンスも統一された。
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