プロレスラー
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プロレスラーは、プロレス興行に参戦してリングで試合を行う者の総称である。レスラー、選手(せんしゅ)とも呼ばれている。
概要
呼称

日本においては「プロレスラー」や「レスラー」、もしくは「選手」の呼称が最も一般的。女性のプロレスラーは通常「女子プロレスラー」の呼称が用いられるが、男性のプロレスラーを「男子プロレスラー」とは呼ばない。

アメリカWWEでは「スーパースター」(女性は2016年中ごろまでは「ディーヴァ」。ただし、女子プロレスラー以外にも使用されていた)、メキシコルチャリブレでは「ルチャドール」(女性は「ルチャドーラ」)と呼称される。この他に「ロースター」、「スターズ」といった呼称も使用される。

その他に各プロレスラーのギミックにより

覆面レスラー

ペイントレスラー

ベビーフェイス善玉役の意味、ルチャリブレではリンピオ、テクニコ)

ヒール悪役の意味、ルチャリブレではルード)

スペルエストレージャ(スペイン語でスーパースターの意、スター選手(花形、人気))

などの呼称が用いられる。
ライセンス、育成

メキシコを除き、プロレスラーとして収入を得るために免許ライセンス)を取得する必要は無い。プロレスラーになるための経路も多岐に渡るが、現状では自分がプロレスラーであると名乗れば、誰でもなれると言える。ライセンスに対する取り組みは、日本ではかつて日本プロレスにおいて団体独自にライセンス発行を行っていた事があり、ルチャリブレの影響を受けたアルシオンでも「ライセンスナンバー制度」を設け、ナンバーを取得しなければ同団体のマットにレスラーとして上がれない仕組みを採っていた。

また、2006年に発足したグローバル・レスリング連盟(GPWA)がライセンスの発行を計画していたが、結局実現せずに終わった。このほか、過去にプロレスのみならず格闘技全般を管理する「日本版アスレチックコミッション」創設が東京都議会に陳情されたこともある[1]。2009年には新日本プロレス全日本プロレスプロレスリング・ノアの3団体による共通ライセンスの発行が計画されたが、これも事実上頓挫した(詳細は後述)。
プロレス団体に入門して道場で練習を積んでデビューする
各プロレス団体が定期的に行うオーディションに合格して入門する場合がある。特にアマチュアレスリングや柔道などのバックボーンを有する者であればスカウトされて入門する場合もある。仮に入門を出来ても、その厳しさからデビュー出来ずに退団する者は多い。しばしば「夜逃げ」の形でいなくなる者も現れる。高山善廣のように一度夜逃げして出戻りする者や大手から逃げて小規模団体に移った後にデビューする者もいる。全日本女子プロレスでは入門後、一定期間内に実施する「プロテスト」に合格しない場合は、退団させる方式を取っていた。現在では多くの女子プロレス団体でこの方式が採用されており、以前は男女混合のWNC、男子では元全女の北斗晶が社長を務めるダイヤモンド・リングでも採っていた。
プロレスラー養成所で学ぶ
体力と技術をここで付ける。日本の場合は養成所での経験があっても入門後しばらく団体内で再度修練を積むことが普通。KAIENTAI DOJOU-FILE CAMPのように養成所が自主興行を行い、そこでデビューする者もいる。アメリカにおいては、養成所を経由してプロのリングに上がるケースが一般的である。また、プロレスラー養成所は引退した元有名レスラーが主催するものや団体が設置しているものが多い。
基本的な動きを学んだだけでデビューする
ライセンス制度が無いため、未経験の者でも客前で試合を行うことがある。アメリカではスポーツ選手のデニス・ロッドマンカール・マローンピート・ローズフロイド・メイウェザー・ジュニア、アクション俳優のミスター・Tなどがリングに上がったことがある。日本ではタレント滝沢秀明狂言師の和泉元彌着エログラビアアイドルインリン・オブ・ジョイトイなどが試合を行った。また、他の格闘技で活躍する選手、K-1アーネスト・ホーストや総合格闘技のマーク・コールマン宇野薫がリングに上がったことがある。特に近年はプロレス業界以外からのスポット参戦から、さらに練習を積んだうえで本格的なプロレスラーとして定着参戦したケースも多く、近年の例として愛川ゆず季赤井沙希荒井優希SKE48)などの例がある。
学生プロレスを経てプロレス団体に入門する
学生プロレスで活躍した後、プロレス団体に入門してデビューする者がいる。ある程度体ができており、基本的な動きを習得しているため、デビューも早くなるという利点がある。棚橋弘至が有名だがレイザーラモンHGばってん多摩川もこの範疇に入れることができる。かつては、学生プロレス出身者は、特にメジャー団体のプロレスラー達からは毛嫌いされていた。学生プロレス出身であったMEN'Sテイオー(当時みちのくプロレス)が、初めて新日本プロレスに出場した時には目の仇にされて、タッチ拒否や袋叩き等の目に遭っている。ただし、現在は棚橋の例にあるように、拒否反応は少ない。近年はガッツワールドプロレスリングのような学生プロレスOBを母体としたプロレス団体も存在する。

また、デビュー後も多くの試合で実戦経験を積むことが重要である。単発興行中心のプロモーションでデビューすると月に1試合前後しか出来ないが、巡業を行うプロレス団体では月に10試合以上となり、かつての大阪プロレスのように常設会場でほぼ毎日興行を行う団体に至っては月20試合以上を消化する場合もあった。また、インディー団体を中心に生活と試合経験のため、他団体に出場するプロレスラーは多い。
大相撲力士の転向
日本特有の事情として、同じ格闘技・スポーツである大相撲力士が廃業後に入門し、転向する例がかつては数多くあった。元々日本プロレスを創設した力道山は元大相撲・関脇であり、日本プロレスとして基礎を築いてからは角界からの転向者が選手の多くを占めたこともあり、プロレス界に大相撲の習慣や隠語が多く導入されている。力道山以外に代表される人物として豊登(元前頭)、芳の里淳三(元前頭)、大熊元司(元幕下)、松岡巌鉄(元幕下)、ラッシャー木村(元幕下)、グレート小鹿(元三段目)、上田馬之助(元序二段)など、日本プロレスに数多く入門している。


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