プロセニアム形式
[Wikipedia|▼Menu]
可動式プロセニアム・アーチと仮設式張り出し舞台の組み合わせ

プロセニアム・アーチ(: proscenium arch)は、観客席からみて舞台額縁のように区切る構造物をいう。そのためこれによって縁取られた舞台を額縁舞台と呼ぶ。またこの構造物から派生し、演技空間を規定する概念語としても用いられる。その用例で「プロセニアム芝居」などという場合は、やや批判的ニュアンスが含まれる。

舞台作品の製作に携わる各部門において単に「プロセニアム」と呼ぶときは、プロセニアム・アーチか、アーチのある舞台上の位置そのものを指す。ただし舞台音響において「プロセニアム」というときは、プロセニアム・アーチ上面にとりつけられたスピーカーのことを指すことが多い。
歴史ヴィチェンツァテアトロ・オリンピコ

イタリアヴィチェンツァテアトロ・オリンピコ16世紀後期)には、最初期のプロセニアム・アーチがみられる。プロセニアム・アーチの明確な成立を、同じくイタリア、パルマのテアトロ・ファルネーゼ(17世紀初頭)とする説もある。ローマ劇場パリオペラ座

この額縁舞台の形式はイタリア式劇場として発展し、ヨーロッパ近世から近代に次々とつくられた屋内劇場では、プロセニアム・アーチをそなえることがスタンダードとなった。ミラノスカラ座パリオペラ座などにみられるように、馬蹄形の平土間と垂直にたちあがった桟敷、プロセニアム・アーチつきの舞台、さらに舞台前のオーケストラ・ボックスが、西欧近代の劇場構造の典型とされる。

プロセニアム・アーチの出現はより複雑な舞台機構を可能にした。舞台装置はプロセニアム・アーチという額縁を意識した絵画的なものになっていき、遠近法を利用した写実的な装置が生まれ、発展していった。

一方、19世紀末から20世紀初頭にかけて、プロセニアム・アーチの存在を明確に否定する劇作家演出家が現れ始めた。例えばベルトルト・ブレヒトもその一人である。

第二次世界大戦後の日本において多数つくられた公立・私立のホールは、ほとんどがプロセニアム・アーチつきの舞台をそなえている。しかし、額縁舞台を前提とした演出(影響の項参照)に批判的な演劇人からは、プロセニアム・アーチつきの舞台を敬遠する動きもでてきた。そこで近年、可動式のプロセニアム・アーチが考案され、仮設式の張り出し舞台と組み合わせることにより、さまざまなかたちの舞台客席空間をつくりあげることが可能となった。日本国内における可動式プロセニアム・アーチを持つ演劇用の劇場としては、新潟県長岡市リリックホールの「シアター」や、愛知県長久手市文化の家にある「森のホール」などがある。
プロセニアム・アーチ以前の舞台グローブ座の想像図。プロセニアム・アーチ以前の張り出し舞台

ルネサンス期の屋外型張り出し舞台では、俳優が直接観客に語りかけるという形式もあった。例えばシェイクスピアが活躍していた時代、イギリスの劇場は、舞台は観客のいる空間に張り出しており、複数の方向から観劇できる形式のものが主流だった。

ピューリタン革命によってイギリス・ルネサンス演劇はいったん中断する。そして王政復古期に再開した際には、シェイクスピアの時代のような張り出し舞台は影をひそめ、フランスイタリアの影響を受けたプロセニアム・アーチを持つ劇場が主流になっていく。しかしイギリスの場合、幕を下ろした際に幕の前で俳優が演技するための張り出し部分(エプロン)も設けられた。
プロセニアム・アーチの影響

プロセニアム・アーチの存在はそこで上演される演劇に多大な影響を与えた。舞台装置の面では、アーチにとりつけられるが、大掛かりな舞台転換を容易にするなど様々な効果をもたらした。多幕ものの戯曲が書かれるようになったのも、劇場に幕が登場してからだという説がある。また、アーチの裏側の左右に副舞台が設けられ、大きな舞台装置を隠すことも可能になった。さらにプロセニアム・アーチは舞台上部にとりつけられた照明装置や、上から吊り下げる舞台装置などを隠す役割も果たした。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:10 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef