プロジェクト・アルファ
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ジェームズ・ランディ

プロジェクト・アルファ(Project Alpha)は、マジシャン科学的懐疑論者であるジェームズ・ランディが、超常現象に対する科学実験の厳密さを検証するため、超常現象の研究所に超能力者を装ったマジシャンを送り込んだ作戦のコードネームである。

1970年代後半、ランディは新しく設立されたマクドネル超心理学研究所(以下マックラボ)に、超常現象の実験を行う方法について提案するためにコンタクトを取った。同時期に2人の10代の少年がそれぞれ独自にマックラボに超能力者であるとして接触し、1979年から1982年にかけてその被験者として自発的に参加した。彼らはすぐに、他の被験者よりもはるかに優れた超常的な能力を発揮できることを証明した。しかし、後に研究所から、2人の能力が実際には単純な手品であったという報告が流出し始めた。

被験者がランディと関係があるという噂がマックラボの責任者であるピーター・フィリップスに届き、彼が実験のためのより厳格な手順を制定したところ、2人の被験者の結果は急激に低下した。1983年、ランディは記者会見を開き、自らのおとり作戦を暴露した。プロジェクト・アルファをきっかけとして、科学研究への干渉の研究倫理や、既存の超常現象研究の妥当性などについて、さまざまな論争が起こった。この事件は超心理学の分野での分水嶺となる出来事として、現在でも影響力を残している。
マクドネル心霊現象研究所(マックラボ)

1970年代に、マクドネル・ダグラスの取締役会長で超常現象を信じるジェームズ・スミス・マクドネルは、セントルイス・ワシントン大学に常設の超心理学研究施設を設置する計画を持ちかけた[1]。最終的に、この分野にも興味を持っていた物理学者のピーター・フィリップスは、大学の超心理学研究室を率いることに同意した。フィリップスは、ケンブリッジ大学スタンフォード大学の両方で物理学の学位を保有していた。1979年、マクドネルはMcDonnell Laboratory for Psychical Research(マクドネル超心理学研究所、マックラボ)の設立と5年間の運営のために50万ドルの助成金を手配した。フィリップスはスプーン曲げに最も興味を持っていた。
プロジェクト・アルファ実験

この事業の発表を受けて、ジェームズ・ランディは11の落とし穴のリストと、それを回避するための提案をマックラボに手紙で送った[2]。 これらの提案には、実験の手順を厳格に遵守し、被験者が実験中にそれを変更することを許さないようにすることが含まれていた。プロジェクト・アルファについて書く中で、彼は研究機関のSRIインターナショナルでの実験中に手順を変更したユリ・ゲラーを引き合いに出した。ゲラーは何かがうまくいかなかったときは、いつも単に何か他のことを代わりにして、そして研究者はそれを成功した実験結果の証拠として報告していた。

ランディの他の提案には、一度に一つの実験対象物しか使わないことや、使用した対象物に永続的な印をつけ、類似の対象物とすり替えられないようにすることなどがあった[3]。彼はまた、研究者の気が散らないように、部屋にいる人をできるだけ少なくすることも提案した。さらに、ランディは、マジシャンはイカサマを見抜くのに最適な人物であると主張し、無償で実験の監視を申し出た。マックラボに所属する心理学者のマイケル・タルボーンによれば、ランディの「偏見のない批評家というより興行師」という評判と、超能力を主張する者に対する敵意を感じたフィリップスは、ランディの申し出を受け入れなかった[4]

応募者を実験しているうちに、ラボは他の応募者よりもはるかに成功した2人の若い男性、スティーブ・ショーとマイク・エドワーズという2人の青年に力を入れ始めた。実際にはこの2人はマジシャンで、研究所の開設が発表されたときにそれぞれ独自にランディに連絡を取り、ランディの支援を得て被験者として参加することを申し出ていた[5]。ランディの彼らへの指示の一部は、もし結果を偽っているのではないかと聞かれたら、本当のことを言うようにというものであった。ランディによれば、彼らはこの質問を直接されることはなかったという。ワシントン大学のスポークスパーソン、フレッド・ボルクマンによれば、「そのような対立が起こったが、(エドワーズとショーは)自白しなかった」[6]。ショーとエドワーズによると、彼らはランディと協同しているかどうかは聞かれず、単にそのような噂があることを教えられたと回想している[7]
スティーブン・ショーとマイケル・エドワーズ

研究所の設立が発表されると、マジシャンのマイク・エドワーズ(18歳)とスティーブン・ショー(17歳、現在はバナチェックの名義でマジシャンとして活動)がそれぞれ独立してランディに連絡を取り、ある計画を立てたという。彼らは、調査の最初の段階で、自分たちの技術を使って手品で研究者をだますことをランディに提案した。そして、この2人が被験者に選ばれ、プロジェクト・アルファが始まった。

もともとスプーン曲げから始まったプロジェクトだったので、2人はすぐにそれを達成する方法を編み出した。ランディが手紙で警告した注意事項に反して、この実験では1本ではなく、多数のスプーンにラベルを貼り、紐の輪に紙を張って、永続的な印の代わりにした。スプーンを曲げようとするとき、2人のマジシャンはラベルが邪魔だと言って、ラベルを剥がした。そして彼らは別のラベルに張り替えて待つだけだった。

スプーンは実験前と実験後に測定されたが、あらゆる種類のスプーンが使われたため、ただラベルを張り替えるだけで測定値が異なり、科学者は超常現象が起きたと思い込んだ[8]。また、他のケースでは、片方の手でスプーンを曲げるふりをして科学者の注意をそらし、もう片方の手で膝の上に落としたスプーンを片手でテーブルの下で曲げることもあった。

スタジオではカメラの前にいる人がモニターで自分の姿を見られるように設定されており、さらにビデオテープは誰でも見ることができたので、2人はビデオを使って自分たちの演技を確認した。2人は、最初の実演でわざと失敗し、ビデオを使って、研究者側に見えているものと見えていないものを見つけ出した。そしてビデオに映らないように自分の技を修正した。エドワーズはある特定のカメラマンが指先の手品の試みを捕らえるために警戒していることに気づいたため、彼は1つの実験で彼を支援するためにその男を選び、その後彼は能力の低いカメラマンに置き換えられた。これは手順を変更するなというランディの警告事項に反しており、ランディの助言に従うなら、この時点で実験の実行は中止され失敗として記録されるべきであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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