プロジェクト‐ノート:LGBT
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問題

以下のページに長い文章がありますが、これを参考資料として一読して戴ければ幸いです。[参考意見:LGBTの人物カテゴリの問題について

--以上の署名の無いコメントは、Maris stella会話投稿記録)さんが 2007年6月8日 (金) 11:17 (UTC) に投稿したものです。[返信]
カテゴリの含意と問題

「LGBTの人物」というカテゴリ設定そのものが、極端な欧米POVであるという事実。英語版やフランス語版では、「LGBTの人物」は、弾圧や抑制に抗して人権運動の流れのなかでカミングアウトした人たちを明示して称賛し、あるいは、LGBTは世界的に問題ないのだということを証明したいが為に、導入されているカテゴリとしか思えないのです。

しかし、LGBTの概念がそもそも明瞭でない社会、LGBTがあっても、それが反社会性とか犯罪性と関連付けられておらず、抑圧や弾圧の反人権的圧力が希薄である社会で、このカテゴリを中途半端に使うと、LGBT の否定的側面がカテゴリを貼付された人物に与えられるが、しかし、それで何かの意味があるかというと意味がないと言えます。

LGBTという社会運動に対し、中立的であろうとすれば、「LGBTの人物」というようなカテゴリがそもそも中立性を破壊しているのです。「LGBTの人物」というカテゴリの使用は、一方で、「弾圧や抑圧に抗した人」という評価の意味がある他方、弾圧や抑圧があるということからは、違う立場では「犯罪者・反社会性を表明した人物」という評価の意味もあるのです。日本語版では、前者の意味は希薄になり、単に、同性愛であった、トランスジェンダであった、というだけでこのカテゴリが使われ、そうすると、「犯罪者・反社会性」のレッテルも同時に貼っていることになります。

それ故、このようなカテゴリは、LGBT に対する弾圧や抑圧や人権侵害が顕著な社会では、人権の擁護・確立のためのカテゴリの意味があるかも知れませんが、世界的に・歴史的に見ると、一般性を持たず、日本語版だと、むしろ否定的意味しかない(覗き見趣味に堕する)ということしかないのです。--Maris stella 2007年6月8日 (金) 11:17 (UTC)[返信]また明瞭に述べておかねばならないことは、上でも述べていますが、人は発達段階に応じて、性的指向トランスジェンダー性が変化して行きます。欧米では、自分は「同性愛者」だと宣言することは非常に重い意味を持ち、その発言には人権問題と関連した言説の責任が付いて回ります。しかし、日本やその他の世界では、男性が「同性愛者」と名乗っても、「そのとき、そうだった」ということで、「いまは女が好き」とか、またはその反対もあり、人間の一生で、性的指向性的嗜好は変化し、欧米のような厳粛な問題として LGBT が取り上げられていない社会では、同性愛とかトランスジェンダーとか、本人がそう述べても、行動で示しても、だから永続的にそうだとはならないのです。ここからも、カテゴリとしては問題があることが明らかなのです。(体重別に人物をカテゴリ分類することがナンセンスであるのと似ているでしょう)。

以上の記述は、基本的な問題提起で、この部分にはレスとかコメントを書かないでください。収拾が付かなくなります。参考文章として見て戴き、議論(discussion)は以下の節以降で述べ、行ってください。--Maris stella 2007年6月8日 (金) 11:17 (UTC)[返信]



discussion

あなたの言っている事は一見尤もらしく言葉を並べ立てている様にも見えますが大きな誤りを含んでいます。
>「LGBTの人物」というカテゴリ設定そのものが、極端な欧米POVであるという事実。英語版やフランス語版では、「LGBTの人物」は、弾圧や抑制に抗して人権運動の流れのなかでカミングアウトした人たちを明示して称賛し、あるいは、LGBTは世界的に問題ないのだということを証明したいが為に、導入されているカテゴリとしか思えないのです。これは完全なる誤りです。性的少数者をLGBTという括りで言及する概念こそは英語圏で生まれてあなたの言うとおりにゲイリブの結果拡大してきたものですが、ウィキペディアにおけるカテゴリの導入までをそれとまで看做すというのは乱暴なレッテル貼りです。また、全地球時代と呼ばれる今日で、先進国の中で唯一欧米文化圏に無いと言っても過言でなかった日本国のPOVでLGBTカテゴリの排斥を肯定するというのも理に適いません(日本語版は日本国版ではないと皆言ってます)。

>?何かの意味があるかというと意味がないと言えますあなたの言う社会とは一体どこの社会の事を言っているのですか?机上の空論の中で意味がないと言われても納得がいきません。

>?そうすると、「犯罪者・反社会性」のレッテルも同時に貼っていることになります。それは性的少数者への偏見の為せる大きな間違いです。LGBTというのは何も社会的に活動をして積極的なアピールを行った変わり者たちだけでなく、同性愛を経験したことがあったり(両性愛者も含む)性自認が体と異なるだけで他は至極全うに異性愛者と変わらない暮らし(ゲイバーの従業員やおねえキャラをウリにする芸能人ではない)をする人々を含みます(むしろそちらの方が多数)。性的少数者であることを異性愛者よりも劣っていると看做すのは時代錯誤も甚だしいのです。

>永続的にそうだとはならないのですそれはスポーツの選手の所属チームや子役俳優なども同じことです。存命人物をカテゴリとしてさえもいます。基本的に没人の場合はやはり没時の自認で判断すればよいでしょう(例えば没時に異性の恋人と陰間の恋人がいた武士は両性愛者です)。存命の場合でもカミングアウトされていなければ彼らがLGBTのカテゴリに含まれることはありません。なお同性の恋愛対象がいなくなる事と同性愛を止めるという事は同じではありません(同性愛を止めたEx-gay
や更に同性愛に戻ったEx-ex-gayという概念が存在します)。

以上ですがあなたの言い分には全体的に日本POVや書籍の独自解釈が含まれています。日本語版だから欧米の概念を排除せよというのはまるで脳内が鎖国状態で、ナンセンスです。もう一度申し上げますが日本語版は日本国版ではありません。日本人以外の民族が携わっている事を忘れてはいけません。日本語話者は殆ど日本人ですが、極東の島国に在住している人達ばかりではないのです。--婆娑羅 2007年6月8日 (金) 12:42 (UTC)[返信]「性的少数者」ということに対し疑問を提示しています。男女の同性愛者、両性愛者、トランスジェンダーの人々、こういう人たいは「普通の人」です。そして「普通の人」だからこそ、何故、「LGBT」というカテゴリ分けをするのか、それに対し疑問を述べています。オスカー・ワイルド は彼を師としたう貴族の少年(青年)と同性愛行為をしたことでスキャンダルとなり監獄に入って健康を害し、出獄後に死去しました。オスカー・ワイルドがウィキペディアに載っているのは、彼が小説家であったからで、同性愛をめぐるスキャンダルがあったからではないのです。オスカー・ワイルドに現在、Category:アイルランドのLGBTの人物が貼られていますが、何故こういうものを貼るのかです。オスカー・ワイルドに同性愛の指向があった。それだけのことであって、特にカテゴリで分ける必要はないでしょう。西欧の芸術家のなかには同性愛が語られている人物がかなりいますが、彼らは同性愛であったが故に、百科事典に載っているのではないでしょう。同性愛もトランスジェンダーも、何も不自然なことはありません。性的嗜好#正常と異常性的嗜好#性における健康を参照してみてください。「正常と異常」という範疇では見ないということが明言されています。性的指向性的嗜好を分けて考えている人がいますが、基本的には、主要な性的嗜好が、四つの代表的性的指向、つまり、異性愛同性愛両性愛無性愛であって、これらについても、当然「正常か異常か」というような基準は当て嵌めないのです。「性における健康」が妥当な基準だとこの記事で述べています(この記事の文章は、履歴を辿ると分かりますが、わたしが記したものです。みすず書房の『異常心理学講座』の「性に関する異常」において、このような説明があったので、それ以降、性的指向も性的嗜好も、正常と異常ではなく、当事者の「身体的・心理的健康」という基準でしか見ません。


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