6世紀東ローマ帝国の歴史家については「プロコピオス」をご覧ください。
プロコピウス(Procopius, 326年 - 366年5月27日)は、4世紀のローマ帝国における東方の帝位簒奪者(在位:365年 - 366年)。ユリアヌス帝の親類(ユリアヌス帝の母バシリナの姉妹の子で従兄にあたる)。その為、コンスタンティヌス朝と直接の血縁は無く、縁戚である。 ユリアヌス帝の死後、東方で反乱を起こしてコンスタンティノポリスを包囲した。しかし、部下のゲルマン人将軍の裏切りにあって反乱は失敗、その後捕らえられ、処刑された。 422年から424年に東方軍区長官(magister militum per Orientem)を務めたプロコピウス、その息子で西ローマ帝国皇帝となったプロコピオス・アンテミウスは後裔(アンテミウスはホノリウスから数えて、9人目の西ローマ皇帝)。当然ながら、アンテミウスの4男1女の子供達(アリピア、アンテミオルゥス、マルキアン、プロコピオス・アンテミウス、ロムルス)も後裔である。アリピアは後に西ローマ帝国の影の実力者リキメルと結婚した。
略歴
後裔
更新日時:2017年2月1日(水)08:57
取得日時:2019/02/03 11:04