プロイセン王立芸術アカデミー
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ベルリン芸術アカデミー, パリザー・プラッツ(ドイツ語版)4, 2010年

ベルリン芸術アカデミー(: Akademie der Kunste (Berlin))は、ドイツ連邦の公法人(ドイツ語版)のひとつで、視覚芸術建築音楽文学舞台芸術映画メディアアートの育成を行なっている。また、時代を代表する芸術に寄与した人たちの国際的なグループでもある。

2006年4月29日に、総会(ドイツ語版)で、グラフィックデザイナーで法律家のクラウス・シュテーク(ドイツ語版)が理事長に選出され、2009年2012年にも再選された[1]
歴史西ベルリン芸術アカデミー(ドイツ語版)の建物ウンター・デン・リンデン8」の王立アカデミー(1908年)。1914年からはベルリン州立図書館マックス・リーバーマン1922年に開催したアカデミーの展覧会ホテル・アドロン(左)とDZ銀行(ドイツ語版)支店のあいだにある芸術アカデミー(中央)アカデミー内のロビーと階段

ベルリン芸術アカデミーの起源は、1696年7月11日ブランデンブルク辺境領選帝侯フリードリヒ3世が設立した「絵画・彫刻・建築芸術アカデミー」にまで遡ることができる。正確には、1704年から1790年までの「王立プロイセン芸術・機械学アカデミー」と、1790年から1809年までの「王立ベルリン芸術・機械学アカデミー」と呼ばれた学会にもその起源をもつ。

1809年から1882年までは「王立プロイセン芸術アカデミー」と呼ばれ、その後「王立芸術アカデミー」(1882年)、プロイセン芸術アカデミー(ドイツ語版)(1926年 ? 1945年)と名称が変更された。

今日の芸術アカデミーは、以下の二つの制度をもとに1993年10月1日に作られた。

1950年に設立された東ベルリンの「ドイツ芸術アカデミー」、1972年以降、「東ドイツ芸術アカデミー」、1990年から1993年まで「ベルリン芸術アカデミー」と呼ばれた。

1954年に設立された西ベルリンの「芸術アカデミー」

場所

本拠地はベルリン・ミッテ区のパリザー・プラッツ(ドイツ語版)4で、2005年に建築家のギュンター・ベーニッシュが設計した建物のなかにあり、1907年,王立プロイセン芸術アカデミーのために改築されたパレ・アルニム(ドイツ語版)があった場所、現在ホテル・アドロン(ドイツ語版)に隣接している。

かつての西ベルリン芸術アカデミー(ドイツ語版)の本拠地だった場所は、ハンザ地区(ドイツ語版))にあり、今日でもイベントや会議、展覧会に利用されている。

東ドイツの芸術アカデミーがかつてあった場所は、ランゲンベック・ヴィルヒョー・ハウス(ドイツ語版)にあった。
目的

芸術アカデミーは、規則によると以下の目的をもつ。

芸術と文化の全体を再現すること

芸術の促進・助成

社会における芸術事情を代表する

ベルリンがもつ国際的な影響力を広げること

文化的・国民的な発展

文化遺産の保護

芸術と文化に関する
ドイツ連邦への助言・支援

芸術アカデミーは、もっぱら公益性のある目的のみを有する。
部門

アカデミーは以下の部門に分かれている。

視覚芸術

建築

音楽

文学

舞台芸術

映画メディアアート

文学部門の責任者は、2006年から2010年まで作家フォルカー・ブラウンが務めていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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