プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ
Premiata Forneria Marconi
母国リニャーノ・サッビアドーロ公演 (2007年8月)
基本情報
別名P.F.M.
PFM
出身地 イタリア
ジャンルプログレッシブ・ロック
活動期間1970年 - 現在
レーベルNumero Uno
プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ (Premiata Forneria Marconi)は、1970年[1]にイタリアで結成されたプログレッシブ・ロック・バンド。
1973年からの国際展開に際してピート・シンフィールドの発案[2]でP.F.M.、或いはPFMという略称が使用された[3]が、母国イタリアでは引き続きフル・ネームが使用されていた。
概歴2007年のバンドメンバー
当初はクエッリ (I Quelli)というバンド名で、ディスキ・リコルディから1965年にシングル盤でデビュー。ルーチョ・バッティスティ(Lucio Battisti)のレコーディングに参加した時、バッティスティからバンドを再編成する事をアドバイスされ、確執のあったメンバーと袂を分かち[4]、プレミアータ・フォルネリア・マルコーニとして1970年12月[4]に再スタートした。
1971年はイエスやディープ・パープル等のイタリア公演で前座を務めて[4]イタリアの聴衆への認知度を高めていった。そして1972年3月、ルーチョ・バッティスティのレーベルであるヌメロ・ウーノ(Numero Uno)から、アルバム『幻想物語』でデビュー。イタリア国内チャートで最高4位まで上昇し、さらに同年暮れにはセカンド・アルバム『友よ』をリリースした。これと前後してELPのイタリア公演の前座として出演し、それがきっかけとなってグレッグ・レイクに注目されてイギリスに招かれ、『友よ』をベースとした英語詞主体のアルバム『幻の映像』[5]を制作、1973年3月にロンドンのABCフラム劇場でイギリスでの初ステージを実現し、さらに8月のレディングのロック・フェスティバルに出演。このステージが聴衆から高い評価を得た[6]。この時のラインナップはフラヴィオ・プレーモリ(キーボード、ボーカル)、フランツ・ディ・チョッチョ(ドラム、ボーカル)、ジョルジオ・ピアッツァ(ベース)、フランコ・ムッシーダ(ギター、ボーカル)、マウロ・パガーニ(バイオリン、フルート、ボーカル)の5人編成だったが、9月にマンティコア・レコードから国際デビューした前後に、ベースがピアッツァからアレアに在籍していたヤン・パトリック・ジヴァスに交代した。
日本でも国際デビュー直後からマスコミに注目され[6]、1975年11月にはボーカルのベルナルド・ランゼッティ(Bernardo Lanzetti)を加えた6人編成で来日して東京(2回)/名古屋/大阪の合計4回公演を行っている[6]。
その後、1976年のアルバム『チョコレート・キングス』リリース後にマウロ・パガーニが脱退するなど、グループの改編が続き、1977年にリリースした『ジェット・ラグ』を最後に主軸となる歌詞をイタリア語に戻すなどの変化が生じた。さらにメンバーチェンジを経て、2010年6月現在はディ・チョッチョ、ムッシーダ、ジヴァスの3人[7]が正式メンバーとして在籍。数度の休止を挟みつつも長年にわたる音楽活動を続けている。
2015年3月、フランコ・ムッシーダがグループからの脱退を正式に表明した。
来日記録
2002年、1975年以来となった2度目の来日公演を催行、その模様は『ライブ・イン・ジャパン 2002』というCDとDVDとしてリリースされ、さらに2006年にも来日している。また、近年、不定期で、ファブリツィオ・デ・アンドレ(イタリアの個性派・シンガーソングライター。故人。かつてPFMがバック・バンドを務めてイタリア国内を巡業した)をトリビュートするライブを行なっており、その模様を収めたDVD『PFM Canta de Andre』、トリビュートCD『紀元2010年 - PFMとアンドレの新たな旅』も発表している。