プレシェヴォ
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プレシェヴォ
Прешево
Pre?evo
Presheva

プレシェヴォ市街
位置

セルビアにおけるプレシェヴォの位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度19分 東経21度42分 / 北緯42.317度 東経21.700度 / 42.317; 21.700
行政
セルビア
 プチニャ郡
 プレシェヴォ
市長ナデル・サリク(Nader Sadiku)
(PVD)
地理
面積 
  域264 km2 (101.9 mi2)
人口
人口(2002年現在)
  域34,904人
  市街地13,426人
その他
等時帯中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号17523
市外局番+381 17
ナンバープレートVR

プレシェヴォ(Прешево / Pre?evo、発音:/?p?????v?/)、あるいはプレシェヴァ(アルバニア語:Presheve / Presheva)は、セルビアプチニャ郡の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、セルビアの南端に位置する同自治体は南にマケドニア共和国、西にコソボと隣接している。2002年の国勢調査によると、プレシェヴォ自治体の人口は34,904人であった。
劣化ウラン

合計161の劣化ウラン弾が、プレシェヴォ近くのレリャン(Reljan)で見つかっている。セルビア政府はレリャンでの劣化ウラン弾の除去作戦に35万ユーロを拠出している[1]
政治

1992年、地域のアルバニア人はプレシェヴォ、メドヴェジャおよびブヤノヴァツをコソボに編入することを問う住民投票を行った。1999年から2001年までの間、アルバニア人の武装勢力「プレシェヴォ・メドヴェジャ・ブヤノヴァツ解放軍」(UCPMB)がこの3自治体のセルビアからの分離と将来の独立したコソボへの統合を求めて武力闘争を展開し、プレシェヴォ渓谷危機と呼ばれた。この武力闘争は、類似する周囲の紛争(コソボ紛争およびマケドニア紛争)ほどには国際社会からの関心を集めなかった。闘争はユーゴスラビアおよびセルビアの部隊によって鎮圧され、地域は正常化しているものの、依然民族間には緊張がある。

2005年12月に、アルバニア人民主党(PDSh)のラグミ・ムスタファ(Ragmi Mustafa)が市長に選ばれた。6箇月後、再度投票が行われ、再びムスタファが市長に当選した。2009年から、民主行動党(PVD)のナデル・サリク(Nader Sadiku)が市長を務める。
人口
自治体の民族別人口

民族構成
年セルビア人 %アルバニア人 %合計
19616,74125.21%18,22968.18%26,738
19715,77719.22%23,62578.60%30,057
19814,20412.38%28,96185.31%33,948
19913,2068.23%34,99289.85%38,943
20022,9848.55%31,09889.10%34,904

プレシェヴォ自治体の人口のうち、最多の人口を占めるのはアルバニア人であり、自治体人口の90%を占め、コソボを含めないセルビアでは最もアルバニア人人口の高い自治体である。残りの人口のほとんどはセルビア人であり、セルビア語トルラク方言(Torlak)を話す。
集落ごとの民族構成

プレシェヴォ自治体に含まれるほとんどの集落では、アルバニア人が多数派を占めている。この例外はリャニク(Ljanik)、スヴィニシュテ(Svinji?te)、スラヴイェヴァツ(Slavujevac)、ツァカノヴァツ(Cakanovac)であり、セルビア人が多数派となっている。モスクミナレットが見える、プレシェヴォの景色


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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