プレイメイト(英: Playmate)は、アメリカ合衆国の雑誌『プレイボーイ』各号に呼び物として掲載される女性ヌードモデル。 『プレイボーイ』誌に載ったモデルであっても、表紙のモデルや一般のヌードモデル等はプレイメイトに含まれない。センターフォールドなどに、ヌード・モデルとして掲載された女性が「プレイメイト」とされている。 見開きページ・折込ページ(センターフォールド)に「ミス○○月」として掲載されるモデルはプレイメイト・オブ・ザ・マンス(Playmate of the Month、略称PMOM)と呼ばれる。プレイメイト・オブ・ザ・マンスのグラビアはその人物のヌード写真・見開きポスター・略歴に加え、生年月日・身体サイズ・興奮する状況・白ける状況等を記述した「プレイメイト・データシート」から構成されている。一年間に掲載された総勢12人のプレイメイト・オブ・ザ・マンスの中から1名が、翌年のプレイメイト・オブ・ザ・イヤー(Playmate of the Year、略称PMOY)に選出される。プレイメイト・オブ・ザ・マンスの報酬は2万5000米ドルで、プレイメイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれると10万米ドルの追加報酬と自動車が贈られる。このほか、創刊5周年以後5年周期でアニバーサリー・プレイメイト(Anniversary Playmates)が選出されている。2006年9月時点で、プレイメイト・オブ・ザ・マンスを歴任した女性の数は635人。 『プレイボーイ』は将来のプレイメイトとなりうる候補者の発掘に対して対価を出しており、本人以外が推薦した候補者がプレイメイトに選ばれた場合、推薦者は仲介手数料として2500米ドルを手に入れることができる。ヒュー・ヘフナーと写真家たちはそれら候補者の中からプレイメイトを選出する。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーはヒュー・ヘフナーが年間の読者投票を参考に独断で選出する。ジェームズ・ボンドが大活躍するボンド映画のヒロインがグラビア・モデルとして登場することも多く、マリアム・ダボらがヌードになっている。 2000年代前半からは『プレイボーイ』はプレイメイトの他にサイバーガール(Cyber Girls
概要
注記: 『プレイボーイ』は「一度プレイメイトになれば、”永遠にプレイメイト”であり続ける」(Once a Playmate, always a Playmate[1])との考えから、「元プレイメイト」等の表現は使っていない。 『プレイボーイ』第1号に主役として掲載されたのはマリリン・モンローだが、その肩書きは「今月の恋人」(Sweetheart of the Month)であり「プレイメイト」の呼称はまだ存在しなかった。プレイメイト・オブ・ザ・マンスと銘打たれた最初のモデルは『プレイボーイ』第2号に掲載されたミス1954年1月、マージー・ハリソンである。基本的に、プレイメイトとして掲載される回数はモデル1名につき1回であるが、創刊初期には2回または3回プレイメイトを経験したモデルも存在する。2回経験者はマージー・ハリソン(1954年1月・1954年6月)とマルグリット・エンペイ
歴史
アメリカの各州では、18歳未満の出演するヌード、ポルノ画像は違法となっているが、『プレイボーイ』が創刊されて間もない時代には未成年者のヌードに関する法律はまだ整備されていなかったため、ナンシー・クロフォード(1959年4月)、ドナ・ミッチェル(1963年12月)、リンダ・ムーン(1966年10月)、テディ・スミス(1960年7月)らは17歳で、エリザベス・アン・ロバーツ(1958年1月)は16歳でプレイメイトとしての撮影に臨んでいた。この結果としてヒュー・ヘフナーとロバーツの母親は逮捕されたが、エリザベスが母親の出演同意書を持っていたため最終的に請求は棄却された[2]。表現の自由をとことん追求するヘフナーにとっては、逮捕は名誉なことだったかもしれない。70年代の例としては16歳で『プレイボーイ』ドイツ版の撮影に臨んだウルスラ・フェルネがおり、彼女は18歳で米国版(1979年10月)にも掲載されている。ドロレス・ドンロンは年齢が30代後半でプレイメイトに選ばれており、最も年齢の高いプレイメイトとなっている[3]
プレイメイト・オブ・ザ・イヤーは各年5月にプレイボーイ・マンションにおけるメディア午餐会で発表されるのが慣習である。プレイメイト・オブ・ザ・イヤーとなったモデルは、その年の6月号または7月号で組まれるプレイメイト・オブ・ザ・イヤー特集のグラビアで大々的にフィーチャーされ、表紙も飾る。しかし例外として2003年から2005年にかけての特集号の表紙はプレイメイトではなく、同じ号のセレブリティグラビアに登場しているセレブリティが掲載された。
陰毛を見せた最初のプレイメイトはミス1971年1月のリヴ・リンデランドとして知られているが、創刊初期の1956年2月には自身2度目の登場となるマルグリット・エンペイがラス・メイヤー撮影の水中写真で陰毛を見せている。当時は発行部数が少なかったため、この写真はリンデランドの写真のように一般に知れわたることはなかった。陰毛を見せるプレイメイトは1970年代から1980年代にかけて増加傾向が続いたが、1980年代後半からは陰毛を剃毛して整える傾向が強まり、2001年9月のダレーン・カーティスはプレイメイトの歴史上初めて完全に1本の陰毛もないパイパンで掲載された。1990年代からはへそピアス等のボディピアスや、タトゥーを体に施したプレイメイトの増加傾向も見られるようになった。 『プレイボーイ』への出演以外の事由でも有名なプレイメイトを下に示す。(括弧内はラテン文字綴りとプレイメイトに選ばれた年・月)
著名なプレイメイト
パメラ・アンダーソン(Pamela Anderson
マリエース・アンドラダ(Marliece Andrada、1998年3月)女優
マリーナ・ベイカー(Marina Baker、1987年3月)ジャーナリスト、児童文学作家で英イングランド・イースト・サセックス州のTelscombe町の「町長」
ビビ・ビュエル(Bebe Buell、1974年11月)女優でリヴ・タイラーの母
キンバリー・コンラッド(Kimberley Conrad、1988年1月)後のヒュー・ヘフナー夫人
カルメッラ・ディセザーレ(Carmella DeCesare、2003年4月)WWEのコンテスト「RAW Diva Search」出場(2004年)
リサ・ダーガン(Lisa Dergan、1998年7月)St. Pauli Girl・ゲス?ジーンズのスポークスモデル
ドナ・デリコ(Donna D'Errico、1995年9月)女優でニッキー・シックス(モトリー・クルー)の元妻
ダフネ・デュプレー(Daphnee Duplaix、1997年7月)ソープオペラ『Passions』出演の女優
バーバラ・エドワーズ(Barbara Edwards、1983年9月)女優
エリカ・エレニアック(Erika Eleniak、1989年7月)女優
ヴィクトリア・フラー(Victoria Fuller、1996年1月)リアリティ番組『The Amazing Race 6』のカップルの女性の方
ステファニー・ハインリッヒ(Stephanie Heinrich、2001年10月)Playboy.comの歴代最初のサイバーガール・オブ・ザ・ウィーク
ローレン・ミシェル・ヒル(Lauren Michelle Hill、2001年2月)ゲーム番組『Fear Factor』プレイメイト版の優勝者、ゲス?のモデル
クローディア・ジェニングス(Claudia Jennings、1969年11月)B級映画の女優。
スーザン・カイガー(Susan Kiger、1977年1月)プレイメイト選出前にポルノに出演していた唯一のプレイメイト。後に3回表紙に掲載。
コニー・クレスキ(Connie Kreski、1968年1月)女優
ニコール・レンズ(Nicole Lenz、2000年3月)ビジョー・フィリップスに嗾けられた喧嘩で有名に
アンジェラ・リトル(Angela Little、1998年8月)『アメリカン・パイ in バンド合宿』出演の女優
ジャネット・ルポー(Janet Lupo、1975年11月)the largest breasts of any Playmate with a post-Playmate career.(バスト採寸の最大記録は1964年10月のローズマリー・ヒルクレストが持つ)
ジェーン・マンスフィールド(Jayne Mansfield、1955年2月)歌手・女優でマリシュカ・ハージティの母。マリリン・モンローと並び称された。(自動車事故で死去)
カレン・マクドゥーガル(Karen McDougal、1997年12月)論争の的となったXFLのチアリーダーCM(2000年)のフィットネス・モデル
シャナ・モークラー(Shanna Moakler、2001年12月)リアリティ番組『Meet the Barkers』で競演したトラヴィス・バーカー(ブリンク 182)の妻