プレイム事件(プレイムじけん、Plame Affair)は、アメリカの元外交官ジョゼフ・チャールズ・ウィルソンの妻であるヴァレリー・プレイム(結婚後の姓はウィルソン)が、実は米中央情報局(CIA)のエージェントであることがマスコミに漏洩、暴露された事件である。
別名プレイムゲート(Plamegate)、CIAリーク事件(CIA leak case)。
当時ジョージ・W・ブッシュ政権は「サッダーム・フセイン体制が大量破壊兵器を保有している」というイラク戦争の正当性を示す内容のプロパガンダを流しており、ジョゼフはこれを情報操作であると批判していた。 2001年暮れ頃から、アメリカ合衆国政府でイラクが2001年4月に核の原料であるウランをアフリカのニジェール共和国から入手しようとしたという「ニジェール疑惑」が浮上した。しかし、この情報源として提出された契約書は、国際原子力機関の鑑定ではわずか数時間の鑑定で偽物であると断定された、かなり稚拙な偽造文章であった。現地の言葉を少しでも知っていれば、言葉遣いが明らかにおかしいと分かる物であったという。そのため、CIAは最初からこのような事実はなく恐らくは情報ブローカーによって捏造された情報であり、契約書は偽物であると結論付けざるを得なかった。 しかし、ディック・チェイニー副大統領ら複数の政府高官らは偽物ではないと強硬な姿勢を崩さなかったため、ジョゼフ・ウィルソンは調査で2002年2月にCIAから派遣された。ジョゼフはニジェールに向かったが、その調査の結果としてそのような疑惑は根拠がないと報告した。だが、それでもアメリカ合衆国政府は調査が不足しているとして「ウィルソン報告書」を握りつぶしニジェール疑惑を残し続け、ブッシュ大統領は大量破壊兵器があると世論に訴え続けた。チェイニー副大統領の首席補佐官ルイス・リビーは再調査を依頼した。だが、現場では無駄だという観測が広まっており、ジョン・マクローリンCIA次長はこれ以上調査を行っても不可能だと反論した。 その後2002年の後半頃からイラクのアル=カーイダ支援、大量破壊兵器開発、アル=カーイダに対する大量破壊兵器の輸出の可能性をアメリカは強調し始めた。2003年1月28日の一般教書演説では、イラクがニジェールからウランを輸入し、さらに中国[1][2]からウラン濃縮に使う遠心分離機用の「アルミ・チューブ
背景
そのような状況の中、2003年3月19日(日本時間20日)にイラク戦争は開戦されたが、大量破壊兵器は発見されなかった。ジョゼフは、2003年7月6日付けのニューヨーク・タイムズ紙に、イラクの核開発についての情報が捻じ曲げられていると寄稿して世論に訴えた。翌7月7日には、ホワイトハウスは16語が誤った情報であったことを認めた。だが、恥をかかされる形となったアメリカ合衆国政府は、ジョゼフの活動を不快に感じており、これと連動する形で2003年7月14日にワシントンの保守系コラムニストであるロバート・ノバク
が、ジョゼフの妻はCIAエージェントであると報じた。これにより、ジョゼフが仕事を貰えたのはCIAの縁故であって捜査には不適切だ、と主張したのである。ノバクはこの寄稿で二人の政府高官(後の裁判でカール・ローヴとルイス・リビーである事を証言している)の裏づけがあるとも述べた。なお、CIAエージェントの身分暴露は、アメリカ合衆国の法律である「情報部員身分保護法」により禁止されている。他方、こうした情報漏洩にジョゼフは即座に反撃して記者会見を開き、妻がCIAの秘密工作員であることを明らかにしたのはアメリカ合衆国政府による報復であると述べ、テレビなどのメディアを通じその違法性を訴えた。その後しばらくアメリカ合衆国では混乱状態が続いた。7月11日、アフリカ訪問中のブッシュ大統領はウガンダで、一般教書演説の内容は事前にCIAがチェックを行っていたとして、CIAの単独責任であると主張した。同日ワシントンでもCIAのテネット長官がCIAの単独責任を認める声明を発表する。実際のところ、CIAは2002年10月5日と10月6日に根拠薄弱というメモを渡していた上、テネット長官も10月7日には、ブッシュの演説から削除するよう電話していたのである。