プレイドライブ
愛称・略称PD
ジャンル自動車雑誌
刊行頻度月刊
発売国 日本
言語日本語
出版社合同会社サンク
ウェブサイト ⇒http://playdrive.jp/
『プレイドライブ』(Play Drive、PD、PLAYDRIVE)は、国内外の参加型モータースポーツを扱った月刊自動車雑誌。通称「PD(ピーディー)」。かつて芸文社から発行されており、2012年現在は合同会社サンクから発行。発売日は毎月1日。
本項目では、派生誌の『ラリースピリット』、派生誌的存在の『プレイノート・Play Notes for GENT'S』についても記述する。 モータースポーツの結果報道を中心とした自動車専門誌。サーキットを使用するレースではなく、ラリー、ジムカーナ、ダートトライアルをメインとしていた。特に日本国内で開催されるラリー、ジムカーナ、ダートトライアルは、最上位イベントからエントリーイベントまで競技結果報告を網羅しており、誌面を構成する柱だった。また、結果報道だけでなく競技に携わる選手や主催者、関係者に関する情報も掲載しており、それらを巡る問題点などについても積極的に取り上げていた。そのため、JAF公認競技(B級ライセンスモータースポーツ)のプレイヤーズマガジンという性格を持っていた。 また、「歴史」の項目で後述するが、創刊当初はモータースポーツを扱う専門誌ではなかった。 『今月号から「ドライブ旅行」が「プレイ・ドライブ」とナマエを変えました。突然、予告も、なんのコトワリもなく、こんなことになって読者のみなさまには大変申しわけない、と思っています。ヤムヲエナイ事情で、急キョこういうことになってしまったのです。ほんとうに申しわけありません。(中略)ドライブの記事は、単なるガイドではなく、どちらかといえばヤング・メン向きの、少々ハードでも、十分ドライビングの味がアジワエるルートを、今後も続けて御紹介したいと思っています。(中略)ただ、本誌はたしかにドライブの雑誌ですが、ドライブに関係ないコトでも、オモシロイこと、話題になること、タメになることは、今後とも、幅広くとりあげてゆきたいと思っています。ドライブもふくめた広い意味での現代のアソビと文化について、みなさんといっしょに考えたり、実験したりしてゆきたいと思うからです。よろしくお願いします』--プレイドライブ1969年10月号編集後記 『ご愛読者の皆様方には、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。創刊以来七年目を迎えました月刊「プレイドライブ」も皆様方の温かいご支援を頂き、発行部数も今日まで着実に伸びてまいりました。深く感謝の意を表する次第でございます。さて、従来株式会社海潮社において発行しておりました小誌は、このたび株式会社芸文社にて発行いたすことに相成りました。従来のスタッフはもとより、全社をあげてよりよい誌面を作り、読者の皆様に親しまれますよう精励致す所存でございます。何卒倍旧のご支援を賜り、重ねてご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます』--プレイドライブ1974年6月号謹告 表紙モデル
目次
1 概要
2 歴史
2.1 マイルドセブン・ドライブラリー
3 キャッチフレーズ
4 増刊・書籍・ムックなど
5 海外ラリー増刊号
6 プレイノート
7 ラリースピリット
8 関連項目
9 外部リンク
概要
歴史
1968年9月:プレイドライブの前身となる『ドライブ旅行』が創刊(1968年10月号)。
『ドライブ旅行』は、当時広く普及し始めた自家用車による旅行をテーマにした月刊誌で、日本各地を巡るドライブコースガイドやカーライフ情報などが掲載されていた。最初は「海潮社」という芸文社とは別の出版社から発行されていた。
1969年10月号:『プレイドライブ』に誌名変更。
1969年12月号:コマ地図を用いた新方式のドライブガイド「PD方式ラリードライブ」連載開始。これは、走行ルートの指示方法にコマ地図を用いることで実戦ラリーに近い感覚を味わえるドライブガイドとして始まった企画。1970年3月号からは尾針得介監修による「PDラリークイズ」としてリニューアルされ、2007年に休刊するまで続いた名物企画となった。
ドライブ企画に関しては「チャレンジDRIVE特集号(1971年5月、1972年6月)」、「ラリースペシャル・関東関西PDラリー(1972年12月)」、「特集・春のドライブコース(1973年6月)」などの臨時増刊が発行された。また、「メカにめざめたキミのバイブル・ひとめでわかる!応急修理トラの巻(1973年9月)」という自動車整備に特化した増刊号も発行された。
1971年11月号:この号から創刊以来B5判だった判型をA4判(中綴じ)に変更。
1974年6月号:この号から発行元が海潮社から芸文社へ移行。
1974年8月号:この号から判型がA4判からAB判に変更。
1977年1月号:この号から判型がAB判からB5判に戻る。
1975年4月号の「躍進刷新号」から女性タレントの顔写真を全面に掲載した表紙となった。モデルとなったのは当時デビュー直後の女性アイドルが多かったが、のちに「大御所」と呼ばれるようになった人物も起用された。1976年11月号からはモータースポーツの写真がメインで女性タレントの写真を脇に添えるデザインに変更され、女性タレントの表紙起用は1977年12月号まで続けられた。それ以降の表紙はモータースポーツの写真のみで構成された。
1975年4月号:キャシー中島、5月号:岡田奈々、6月号:高原ユキ、7月号:坂口良子、8月号:太田裕美、9月号:浅野ゆう子、10月号:石川さゆり、11月号:和田アキ子、12月号:伊藤咲子、1976年1月号:西川峰子(仁支川峰子)、2月号:アグネス・チャン、3月号:八代亜紀、4月号:リリーズ(ザ・リリーズ)、5月号:小川順子、6月号:アン・ルイス、7月号:天地真理、8月号:三木聖子、9月号:藤圭子、10月号:佐良直美、11月号:エバ(ゴールデンハーフ)、12月号:キャンディーズ、1977年1月号:石川さゆり、2月号:太田裕美、3月号:シェリー、4月号:林寛子、5月号:いけだひろこ、6月号:吉田まり、7月号:芦川よしみ、8月号:森昌子、9月号:荒木由美子、10月号:チェルシャ・チャン(チェルシア・チャン)、11月号:清水由起子(清水由貴子)、12月号:石原初音