「アテナイのプルタルコス」とは別人です。
プルタルコス像
プルタルコス(希: Πλο?ταρχο?、羅:Plutarchus、46年頃 - 119年以降)は、帝政ローマのギリシア人著述家。著作に『対比列伝』(英雄伝)などがある。英語名のプルターク(Plutarch [?plu?t?rk])でも知られる。 ボイオティアにあるカイロネイアの名門出身。アテナイで数学と自然哲学を学び、ギリシャ本土と小アジアのサルディス、エジプトのアレクサンドリアに赴き、カイロネイアの使節としてローマにも度々滞在した。生涯を故郷で過ごし、市民と親しく付き合い、ローマからの客をもてなしたので、家は大いに賑わったとされる。一方では、デルフォイ神殿の神官と交流を持ち、神託を推奨した。 思想的には、アカデメイア派または中期プラトン主義に属し、その他ストア派やペリパトス派の考え方も取り入れ、折衷主義、穏健な懐疑主義[1]の立場をとった。 著作活動に熱心で、3世紀頃に編纂されたプルタルコス著作目録『ランプリアス・カタログ
略歴
著作
『対比列伝』は1人の人物を記述した単独伝記4編と、古代ギリシアの人物と古代ローマの人物を対比した対比列伝22編からなる。対比列伝では、アテナイの王テセウスと王政ローマを建国したロムルス、スパルタの立法者リュクルゴスとローマの古王ヌマ、アレクサンドロス3世(大王)とカエサル、などが対比されている。
この『対比列伝』は16世紀にジャック・アミヨによる仏訳がなされ、その仏語版から17世紀のサー・トマス・ノースが訳した英語版を参考にシェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』、『アントニーとクレオパトラ』、『コリオレイナス』などのローマ史劇を執筆したとされる[2]。
『倫理論集(モラリア)
(英語版)』は政治・宗教・哲学などについて論じた随想集であり、エッセーの起源であるとされる。のちにモンテーニュやラブレーなどのルネサンス期のフランス文学や、ラ・ロシュフーコーなど17、18世紀のフランスモラリストに、大いなる影響があった。