この項目では、日本のガールズバンドについて説明しています。
同バンドのアルバムについては「PRINCESS PRINCESS (プリンセス プリンセスのアルバム)」をご覧ください。
つだみきよの漫画作品については「プリンセス・プリンセス (漫画)」をご覧ください。
Studio 3Hz・アクタス共同制作によるテレビアニメについては「プリンセス・プリンシパル」をご覧ください。
プリンセス プリンセス
別名赤坂小町(旧名)
出身地 日本 東京都
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ポップ・ロック[1][2]
J-POP[3]
活動期間
1983年 - 1996年
2012年 - 2016年
レーベル
TDKレコード
Sony Records
SME Records
事務所
TDKレコード(1983年 - 1985年)
音楽座(1985年 - 1986年)
シンコーミュージック(1986年 - 1996年)
共同作業者
笹路正徳
青山純
公式サイトプリンセス プリンセス official website
プリンセス プリンセス(英: PRINCESS PRINCESS)は、日本の5人組ガールズバンド[4]。活動期間は1983年 - 1996年および2012年 - 2016年。女性のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループ[5][6][7]。略称は「プリプリ」。 プロフィール愛称担当備考
メンバー
岸谷香
(きしたに かおり)
旧姓:奥居 (1967-02-17) 1967年2月17日(57歳)
O型
広島県広島市出身
身長157cm。かおりちゃん。メンバーからは、香、富田からは時におりちゃんと呼ばれることもあった。ボーカル、ギター1996年のバンド解散までは旧姓の「奥居香」として活動していたが、解散直後、俳優の岸谷五朗と結婚し改姓、のちに芸名も「岸谷香」へ改名する。
バンドの楽曲の作曲を数多く手がける。「ソーロング、ドリーマー」の原曲は奥居が中学の頃に作曲したもの(当初は「バンドガールズ」という曲名であった)。
楽曲によってはギターを演奏しないこともある。ライブではギターの他にピアノ、キーボードを演奏したこともある。
他のアーティストにも多数の楽曲を提供する。
一男一女の母。
中山加奈子
(なかやま かなこ) (1964-11-02) 1964年11月2日(59歳)
B型
京都府京都市出身
身長156cm。かなちゃん、ケラマン(今野の付けたあだ名)。ギター・コーラス2009年に結成された『VooDoo Hawaiians』のヴォーカル、ギター担当として活動。
ロックを好み、好きなギタリストとしてキース・リチャーズなどを挙げている。
2004年2月7日、自身の公式ホームページで「突然ですが、先日結婚しました。昔から結婚しないと言ってきたのに、こうなるとは人生不思議なもんです」と報告し、一般男性と結婚したことを明らかにした。富田と並んで作詞作品が多い。
渡辺敦子(リーダー)
(わたなべ あつこ) (1964-10-26) 1964年10月26日(59歳)
B型
熊本県水俣市出身
身長163cm。あっこちゃんベース・コーラスバンドのリーダー。
2021年10月より『東京スクールオブミュージック&ダンス専門学校』の学校長を務める[8]。
今野登茂子
(こんの ともこ) (1965-07-15) 1965年7月15日(58歳)
O型
埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身
身長164cm。ともちゃん。メンバーからはパンとも呼ばれる。キーボード・コーラス解散後、結婚したが離婚。その後2002年7月に映画監督で俳優の利重剛と再婚。
イラストが得意で、ファンクラブ会報や関連出版物の中でたびたび漫画を描いて画才を披露していた。
映画やCM、解散後はTV番組等への出演も多かった。
一女の母。
富田京子
(とみた きょうこ) (1965-06-02) 1965年6月2日(58歳)
B型
神奈川県横浜市戸塚区出身
身長156cm。きょんちゃん。初期の頃は自分のことをきょんちぁんと書くことがあった。ドラムス・コーラスバンドの楽曲の作詞を多く手がけている。
整理整頓が好きである。
二男の母。
シンコーミュージック時代のプリプリのマネージャーは「イチヤン」こと市村恵美子が務め、「6人目のメンバー」と呼べるほどの功績を残した。2023年現在、岸谷香が所属しているオールスパイスカンパニーに所属し岸谷のマネージャーを担当している。インタビュー等の文面では「イチヤン」「市やん」「市ヤン」と書かれる。独身。
ラジオ日本『ラジカントロプス2.0』(2013年4月15日OA)において、スタジオミュージシャンの青山純が「実は僕、プリンセス プリンセスだったんですね。影武者として。」とレコーディングでのドラム演奏を担当していたことを告白している[9]。
来歴
デビュー前
1983年
TDKレコード主催「TDKレディスバンドオーディション」が開催される(応募条件は15歳から18歳の容姿端麗な女性[10])。応募総数は1400人あまり。書類選考及びデモテープ審査で25人に絞られ、季刊音楽雑誌「ヤングセンス1983年春号」にその詳細が掲載される[11]。
2月20日、各パートごとの最終オーディションが行われ、5人が選出される。
4月から、西日暮里(東京都荒川区)で合宿生活を開始する。合宿開始当初は、同じ事務所に所属していた木之内美穂と共に合宿生活をしていた。この合宿生活は2年4か月にも及んだ[12]。
当初のバンド名は「赤坂小町(あかさかこまち)」[13][14][15]。このバンド名の由来については、「当時のTDKレコードの所在地であった『赤坂』から」、「『漢字4文字のバンド名をつけてほしい』と依頼されたある雑誌編集者によって名付けられた」、「雑誌上での公募で付けられた」など多くの説がある。
5月29日、銀座の山野ホールで初ライブを行う。
1984年
3月21日、TDKレコードからシングル「放課後授業」でデビュー。この頃、奥居は「ヴォーカル&ベース」から「ヴォーカル&ギター」へ、渡辺は「ギター」から「ベース」へ、それぞれパート変更する。パート変更の時期は、富田によると「放課後授業」のリリース前[16]、渡辺によると同シングルのリリース後[17]とされており、ライブ年表によると、「放課後授業」発売の約1か月半後の1984年5月8日のシャープ会館イベントがパートチェンジ後の初ライブとされている[18]。
1985年
事務所が与えるアイドル的な仕事に違和感を覚えたことや音楽性の違いから、所属事務所をTDKレコードから音楽座(ミュージカル劇団音楽座とは無関係)へと移籍し、バンド名を「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」へ改名する。JULIAN MAMA時代はシングル、アルバムのリリースは無かった。
デビュー後
1986年
5月、バンド名を「PRINCESS PRINCESS」へと改名し(名づけ親はムーンライダーズの岡田徹)[19]、ミニアルバム『Kissで犯罪(クライム)』でCBSソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)から再デビュー。この『Kissで犯罪』のプロモーションビデオを事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーミュージックが彼女らへ接触し、移籍交渉を開始することになる。
8月、シンコーミュージックで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったことや、オーディションを見た社員の反応があまり良くなかったことが理由であったが、当時シンコーミュージックの社員で、後に彼女らのマネージャーになった「市ヤン」こと市村恵美子は、彼女らのライブを生で見て「このバンドはいける」と思い、社長の説得にあたった。
11月、所属事務所であった音楽座との意見の相違などもあり、音楽座との話し合いをへて音楽座からシンコーミュージックへ移籍する[20]。
1987年
4月、ファーストシングル「恋はバランス」が発売される。この曲は、作詞は中山が担当したが、作曲は鈴木キサブローによるものだった。当時メンバー内では、部外者が作曲した作品をリリースすることについての抵抗がかなりあったらしく、以後はメンバー自身が作詞・作曲した曲をリリースすることにこだわり続けた。
1988年
3枚目のシングル「MY WILL」が、スポーツ用品店「ヴィクトリア」のCMソングに起用されたことをきっかけとして注目を集め、フジテレビの夜のヒットスタジオDELUXEに初出演を果たす。初登場時は電飾を使ったセットが用意され、これは彼女らに余計に緊張を与えた。またこの番組は、渡辺にとって昔からの憧れの番組であり、また「何度出ても緊張する番組だった」と後に語っている[21]。
2月、後にバンドの代表曲の1つとなる4枚目のシングル「19 GROWING UP -ode to my buddy-」をリリースする。この時期からたびたびテレビドラマやCMのタイアップに起用されるようになり、バンドの知名度とCD売上が上昇していく。
4月、結成当初から目標の一つとしていた渋谷公会堂ライブを行う。チケットは発売開始からわずか2時間で完売し、これを聞いたマネージャーの市村はメンバーより先に泣いたというエピソードがある。この頃からライブ会場をライブハウスからホールへと移行させていく。
5月、5枚目のシングル「GO AWAY BOY」リリース。資生堂夏のキャンペーンソングに起用される。続く6枚目のシングル「GET CRAZY!」も月9テレビドラマ『君が嘘をついた』の主題歌に起用された。
11月、4枚目のアルバム『LET'S GET CRAZY』リリース。収録曲の「M」は後にリリースされるシングル「Diamonds」のカップリング曲にもなり、バンドを代表する曲の一つとなる。
1989年