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やノートページでの議論にご協力ください。プリンス自動車工業株式会社
Prince Motors, Ltd.
種類株式会社
本社所在地 日本
東京都杉並区桃井三丁目5番1号
業種輸送用機器、機械
事業内容自動車、織機の設計、製造、販売、宇宙機器、防衛機器等の設計、製造
代表者代表取締役会長 石橋正二郎 (日産自動車による合併吸収時)
主要子会社リズムフレンド製造
関係する人物
中川良一
田中次郎
桜井眞一郎
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プリンス自動車工業株式会社(プリンスじどうしゃこうぎょう)とは、かつて存在していた、日本の自動車メーカー。1947年に創立、以後変遷を経ながら1966年に日産自動車と合併する。
第二次世界大戦後、航空機製造を禁じられた立川飛行機出身の、外山保、田中次郎ら技術者により、1947年に「東京電気自動車」の社名で発足。電気自動車製造からスタートしたメーカーであるが、1951年以降はガソリン自動車開発に転身した。経営および資本面ではタイヤメーカーのブリヂストンとその創業者である石橋正二郎が大きな役割を担っており、旧、中島飛行機系の企業である「富士精密工業」との協業、合併をも経るなど、企業としての成立過程および社名の変遷は複雑である。
元航空技術者を多く擁する技術開発重視の社風により、早くから先進技術を導入し、1960年代にはモータースポーツ界でも大いに活躍したが、1966年8月1日をもって日産自動車と合併した(日産自動車による実質的な吸収合併)。
合併するまでは、東京証券取引所に上場していた[1]。 商号は、創業以来、たま電気自動車、たま自動車と変遷、1952年11月以降はプリンス自動車工業に社名を変更していた。1954年にはすでにエンジンで協業し、やはり石橋正二郎が会長となっていた富士精密工業と合併し、社名を富士精密工業とした。富士精密工業も、中川良一ら、飛行機会社中島飛行機の東京製作所(荻窪)と浜松製作所の技術者によって業態転換で発足した会社である。のち1961年に社名を再びプリンス自動車工業に変更、日産自動車との合併までこれを通した。 自動車技術面においては、極めて先進的な試みを多く行ったことで知られている。当初は電気自動車を製造したが、1950年の朝鮮戦争勃発に伴うバッテリーのコスト高騰に伴いガソリン自動車生産に転換[2]。
概説